主の祈り~その1
2016 / 10 / 01 ( Sat ) 01:15:46
9月23日(金)午後コースの
入門講座より。






「イエス・キリストは
“神の国が近づいた”、
という”福音を信じなさい“と
宣べ伝えました。


キリスト教の言う、
神の国とは神の支配のこと。

支配というのは、
王様である神様による支配。

王様のイメージは羊飼いのイメージ。

羊は目が悪く、足も遅く、
群れでなきゃ生きていけない。
イスラエルのような
自然環境の悪いところでは、
絶えず、水を飲まなせなきゃとか、
ご飯を食べさせなきゃ、
と気を配って、
水やえさのあるところまで
連れて行かなければならない。


つまり、羊飼いは羊を気にかける、
世話をする者。 

そのように、神の国では
王様が羊飼いのように、
民を気にかける。
民は王様を尊敬する。


マタイだけが神の国を
天の国と言っている。

天の国は天国とは違う。
天国は死者のため。

天の国は生きている人が
お世話されるところ。


王様がみんなを気にかけていることを
実感できるのが天の国。」


という言葉を踏まえた上で、と、
イエス様ご自身が弟子たちに
直接教えてくださった
「主の祈り」を説明してくださいました。






「1. 天におられる
  見上げれば、天は誰でも見られる。
  天は一番障害物がない。
  誰にでも分け隔てなく、
  共通につながっている場所。

2.  私たちの 
  神様は私だけの神ではなく、
  生きているものすべての神様。
  みんなの神様
 
3. 父よ
   子どものお父さんの呼び名。
  ヘブライ語の方言である
  イエスが使ったアラマイ語ではアッバ。
  まだ言葉がしゃべれないような
  赤ちゃんがお父さんを呼ぶときの言葉。


ここで注目すべき点は
カトリック教会では、

③ 神父 を英語で(father)
 ファーザー(お父さん)
② 教皇 を パパさま と呼ぶ。 
  パパも子どもことば
① 神様 は アッバ 
  赤ちゃん言葉。イエス様ご自身が直接

つまり、偉くなればなる順に
だんだん幼な言葉になる。
格があがると呼び名は
だんだん、
子ども言葉になる。

ということは、主の祈りを唱えるときは、
神様に正直により頼んでいい。
かしこまらなくていいのです。


4・み名が聖とされますように、
 名前に丁寧語の”み”をつけて、
 神様の名を意味する。
 神が神として完全となりますように
 の意味。

5、み国がきますように。
  神の国がきますように。

6.み心が天に行われるとおり、
 地にも行われますように。
  
 相当しんどいような、
なにやってんだ!というような
この俗世間の中にあっても
神様の心が行われますように。


ここまでが、
神への信頼のよびかけです。
神様、あなたはこういう方です、
という神様のイメージであり、
神様のことを想って祈る祈りです。


こういうことを思って祈ると
後半部分が変わります。」





”私たち”の中に
イエス様も入っていると思うと・・・!
感謝です



Luna
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[○][○][○]のかほり
2016 / 09 / 29 ( Thu ) 19:53:53
金木犀 陽だまりの坂♪

懐かしき昨年聖劇の主題歌
「みんなの家」の2番
始まりでございます






ほのかにかぐわしい
金木犀のかほり
ほんの数日の
この短い一瞬にある幸せを
大切に
この歌詞を大事に
ココにいたいな~と
思うのでありました。


つづきはこんなん↓


♪引き寄せられるように
門をくぐれば
木のベンチ 光る十字架
笑顔が迎えてくれる

ありがとう 声かけてくれて
心ほどけてほっとした
ひとり旅はもう終わりにしよう♪




[○]子
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シニアのつどいと病者の塗油
2016 / 09 / 28 ( Wed ) 21:52:39
2016年9月25日(日)の
シニアのつどいのミサは、
侍者も先唱も朗唱も朗読も
75歳以上のシニアのメンバー。
昔のオルガンも登場しました。





ミサ後の
豊島神父様のお話から…。



「“病者の塗油”で、
額に十字に油を塗るのは
聖書に記述に由来しますが、
そのあとに
左手と右手に油を塗り
すぐにその両手を合わせるのは
なんのためでしょう?


最初に赴任した小金井教会の
主任司祭から
隣接する桜町病院のホスピスに
初めて病者の塗油に
行ったとき教えられました。


両手を合わせて
塗られた油を温めることで、
神様からの
温かいぬくもりを
自分自身のなかに、しみ渡らせる
という意味があるのです。」


「病者の塗油は
重篤な病の方の方が
その効果が分ります。
重篤かどうかは
ご自身で判断なさって
くださいね。」
と、お話されました。







ミサ後には
教会学校の子どもたちから
シニアの方々に
歌と花をプレゼントした後、
シニア代表のDさんがご挨拶。
最後に
『十字を切る』を
混声四部合唱で贈りました。
入門係からも
Luna、かかりん
Elizabeth
ほか数名が
参加しました。


写真撮影の後、
シニアの希望の方に
病者の塗油が行われ、
この日は軽食サービスはお休みで
信徒会館の1階と2階すべてで
シニアの方々の会食が
行われました。


多摩ニュータウンに
各地から引っ越して来て、
マンション教会を立ち上げ、
今の聖堂を献堂し、
数々の苦難を乗り越えて来られた
シニアの方々のおかげで
今の多摩教会の
美しい聖堂が与えられています。
多摩教会があったから
救いに導かれた人が
どれほどいることか!




神に感謝!
Elizabeth♪
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神様、助けて下さい!
2016 / 09 / 25 ( Sun ) 22:31:03
2016年9月23日(金)入門講座では
豊島神父様は
“主の祈り”について
お話されました。





“助けて下さい!“

神様に
お祈りした方がいいですよ


弟子のペトロが
海の上を歩こうとして
溺れそうになった時
“助けて下さい!”と言って
救い上げてもらったように。


神様の前で
いつも
きちんとしていようと
するのでなく、
神様に
何でもぶつけていいんです。


ヨナ書やヨブ記にあるように
神様は
ちゃんと、応えて下さる。


神父に言うより
神様に
“こんなことあったんです!”

言った方がいいですよ。
神様に
怒ったって、いいんです。  


神様と
ティータイムを楽しむように、
神様と話しているように、
神に祈る。

神は、
今、必要なものを、恵みを
与えて下さる。

“罪”とは、
神とわかれること。

神は、
あったかい心へと
導いて下さいます。





“助けて下さいと言って、
怒られるのは、いやだな~“
と言ったら、神父様は
“怒られても、
滅ぼされるよりいいでしょう?
怒られても、
どつぼから
引き上げてもらう方がいい“
と、言われました。

平和そのもののような
豊島神父様の笑顔を思い出すと
心の中に
“主の平和”が灯る気がします。


”神様、もうヤダ!
やってられません~!”と、
神様に
正直に、弱音を吐いてみようかな
と、思いました。



神に感謝!
Elizabeth♪

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兄弟に何か忠告したいときには
2016 / 09 / 25 ( Sun ) 00:18:38
兄弟に何か忠告したい
ときには、
着物のほころびを、
丁寧に、やさしく繕う
おばあさんのように
しなければいけません。



目の前に掛けている
「教皇フランシスコ」カレンダー
2016年9月 

ふと見上げると、
この言葉が目に留まりました…


ガーン!😨でした。。。


繕い物なんて、
最近することないから・・・
なんて言い訳は
通じませんよね~(汗)



Luna 
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つながる
2016 / 09 / 23 ( Fri ) 21:44:40
ひよこ組


晴佐久神父様は
「洗礼」 はマジックではないから、
何も変わりません…
でも、ふと振り返った時に
あっ…  と気付く 
と言われていました


本当にそのとおりでした


「つながり」 ができたのです
いいえ、本当はず~っと
神様は一緒にいて下さった
つながって下さっていた 
ことに気づきました





豊島神父様は入門講座(9/16)で
洗礼やご聖体(秘跡)は、
神様が触れて下さっていることの
しるしを授かっているということ
聖霊は神と人をつなぎ、
人と人をつなぐもの


命の充実感は
どこから得られるか
それは「つながる」ということ
バラバラの人が、
神を思う時につながり
共にいることで喜びをえられ、
つながっている安心の中で
生きていくことができるのです 
とお話ししてくださいました。


神様との つながり に気付き
多摩教会につながり
教会家族の笑顔に出会い…。


マザー・テレサの列聖式で
一つの大きな祈りの輪につながり


つながるために必要なのは
約束 ではなく
所属 でもなく
笑顔 だけで大丈夫…
そう感じました





あなたの目の前にいる人に、
微笑みかけなさい
すべてはそこから始まるのです

           マザー・テレサ




コスモス
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つながっていきましょう
2016 / 09 / 22 ( Thu ) 23:57:07
9月16日入門講座の
豊島神父様のお話より





カトリック教会は
聖書だけでなく、
聖伝(注)も
教会の正式な教えとして
大切にしています。


ということで、
カトリックの教えの本を
分厚いのから、
薄いのまで、3冊くらい(?)
(いい加減でごめんなさい
紹介をしてくださったあと、
いよいよ、
新約聖書に入りました





まずは、
マタイによる福音書4章1ー11.
この個所は通常、
四旬節第一主日
志願式のある日のミサで
読まれます。


イエス様が荒れ野に導かれ、
40日間断食したあとに、
悪魔から誘惑されるお話です。


「人はパンだけで生きるのではない。
神から出る
一つひとつの言葉で生きる。」

「あなたの神である主を
試してはならない。」

「あなたの神である主を拝み、
ただ主に仕えよ。」

こう言って、
イエス様は悪魔の誘惑に
打ち勝ちます。


ところで、
豊島神父様も
おっしゃっていましたが、
この個所で、
なんといっても気になる言葉は
悪霊(悪魔)です。

気になりますよね~。

悪霊って、ほんとうに、いるの?
い・る・らしいです・・・(汗)

で、悪霊って、何?

神父様によれば、
神学生時代。
神学校の図書館の本棚には,
悪霊に関する本が
い~っぱい
並んであったけど、
でも、みんな
ほこりをかぶっていて、
誰も読んでない!
のは明らかだった。(笑)


・・・で、悪霊のことを説明するには
まず、その反対の
聖霊のことを説明しましょう。
ということで・・・


(聖とは神、完全、を表す言葉。
霊はギリシャ語でプネウマ、
ヘブライ語でルアッハ、
風、息の意味で
日本でいう幽霊の霊とは違います、
ということです。)

聖霊は ①神と人をつなぐ
       ②人と人をつなぐ

従って、反対の
悪霊は ①神と人を離す
      ②人と人を分裂させるもの


神と人がつながり、
人と人がつながっていく。
つながって、分かり合えて、
共にいるという安心。
イエスの言葉の先には
つながっていく
命のすばらしさがあります。。


ところが、せっかく
つながっていこうとしていたのに、
壊そうとする力が
日々働いている。
それが悪霊の働き。


悪霊は分裂、
神様の愛の世界から引き離す力。


(この世の)命が一番大事、
という誘惑。


ただ安全で、
物がそろっているだけだったら
幸せという誘惑。


そこに、本当の喜びや楽しさはない。
命の充実感はない。


人間がバラバラの
孤立した命を生きるのではなく、
つながりの中で
生きていくとき、
命の輝き、感動があります。


人間としての喜びの命は
神様とのつながりの中にこそ
あるのです。。


つながっていきましょう。
つながったら
命はこんなに素晴らしい、
たくさんの
幸せと感動があります。


私たちは、神のほうに、
聖霊のほうに、
招かれていることを
イエス様は
体を張って示したのです!!






「わたしにつながっていなさい。
わたしも
あなたがたにつながっている。」
(ヨハネによる福音書15・4)
というみ言葉が
心に浮かびます。


・・・イエス様のほうは
つないだ手を
決して、離さない!
・・・。
永遠に離さない・・・。

感謝!!です。



Luna




注)カトリック教会の教説(教え)は「聖書と聖伝」という言葉であらわされるように、旧約聖書、新約聖書およびイエス・キリストと使徒の教えに由来し、教父たちによって研鑽され、多くの議論を経て公会議などによって確立されてきたものである。使徒信条およびニケア・コンスタンティノープル信条を信条としている[3]。特に宗教改革以降、トリエント公会議においてカトリック教会の教義が整理され、再確認された。さらに現代では第2バチカン公会議でも現代に生きる教会として教義の意味を見直した。(ウィキペディア「カトリック教会」より)

ちょうど、Elizabethさんが第2バチカン公会議の内容を紹介してくださいましたね♪


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パパさまより
2016 / 09 / 21 ( Wed ) 23:22:28





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典礼は、教会の活動の頂点であり源泉
2016 / 09 / 20 ( Tue ) 00:05:27
2016年8月26日(金)(5/5)典
信仰養成講座での
市瀬神父のお話から。





「“典礼”は
キリストが、語る。
いのちの言葉を、語る。


キリストが
自分自身を与える。
キリストの死と復活にあずかるのが
“典礼”の意味。


第2バチカン公会議までは、
いつのまにか
形式を重んじるようになっていたが
“典礼”は、本来、
“いのちに至ること”
“愛に生きること”
“イエスの言葉を実行すること”。



ただ1度の
イエス様の死と復活の出来事により
私たちは
罪から解放されて
神と一致し
自由に、
神とともに生きる。


すべての人を救った
十字架と復活を
「ことば」と「しるし」によって
再現するのが
ミサ。


“典礼”の中心は
キリストの死と復活。
ミサで
今、ここで、繰り返される。


そこから、恵みをいただく。
信仰を、育てていただく。


“典礼”は、
教会の活動の
すべてではないが、
源であり、核。
教会の活動がめざす
頂点であり、
源泉。」





私たちのために
十字架にかかり
復活されたキリストの愛を記念する
ミサが、毎週
与えられていることに
感謝です。



Elizabeth♪
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私たちを解放し、豊かにする典礼
2016 / 09 / 19 ( Mon ) 23:57:41
2016年8月26日(金)(4/5)
信仰養成講座での
市瀬神父のお話より。






「第2バチカン公会議の
ひとつの大きなテーマは、
『典礼における信徒の役割』。
『“意識的”
かつ“行動的”に
典礼に参加する』
というのが大事なモチーフです。


“典礼”の担い手は誰か
といえば、
“キリスト”。
典礼で、
目に見えるのは、信者だけれど
単なる人間の集まりではない。
典礼は、
復活のキリストとともに
天使、聖人とも
世界の苦しみ喜びにも
つながっている。


たとえ
2~3人で山でミサをあげる時でも
壮大な祭儀が行われ、
天上の典礼を
前もって、味わっている。


毎日、毎週の“典礼”の中で
私たちは、実は、大切なことを
たくさん聴いて、
たくさん発している。


恵みの神秘に、
心をこめて参加するためには
ある程度、
“典礼”を理解しないと。


神秘を、
すべて理解することは
できないけれど、
“典礼”で
大事なことが行われていると
理解することはできる。


ミサで
身を持って、体験する。


“典礼”は、
キリストを仲介者として
神と人が出会い、
人と人とが出会い、
自分と出会う。
それが実現できるように
“典礼”の
式次第は整えられている。


“典礼”は、祝祭。
お祝いです。
本当の意味の祭儀は
私たちを
解放し、豊かにするもの。


本来は、“典礼”が終われば
晴ればれとして出ていくのが、
本当。


祭儀であるミサは
人間の実在に対応している。
人のあこがれ、望みに
対応するようになっている。
自分自身をとりもどし
新しい世界が見えて、
元気になるようになっています。」





毎週、ミサで
新しくされますように。




神に感謝!
Elizabeth♪
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