神さまの宝物
2017 / 08 / 05 ( Sat ) 08:44:46
(そのとき、イエスは人々に言われた。)
「天の国は次のようにたとえられる。
畑に宝が隠されている。
見つけた人は、
そのまま隠しておき、
喜びながら帰り、
持ち物をすっかり売り払って、
その畑を買う。

 また、天の国は次のようにたとえられる。
商人が良い真珠を探している。
高価な真珠を一つ見つけると、
出かけて行って
持ち物をすっかり売り払い、それを買う。」

以上は
7月30日の主日のミサの福音個所
マタイによる福音書 13:44-52です。





7月29日の夕ミサのお説教で、
最後に豊島神父様が

「わたしたちひとり一人が
神様の宝物です」

とおっしゃった言葉が【私の記憶が確かならば】
耳に残っていました。


その時は
深く思い巡らすことも
なかったのですが、


8月2日の聖書の箇所も同じで・・・。
同じだ~
読み返していて、
はっとしました。


そうだ!
イエス様こそ私を”見つけた”とき、
“喜んで”、
“持ち物をすっかり売り払って”
私を“買ってくださった!”
のではなかったか?!と。

・・・!!!

こんな私を!!??

そんなあの人を!!


私たち一人一人が例外なく、
神様にとっての
美しい高価な真珠!!
宝物!!

それは、もしかして、本当のこと‼!?





入門講座での
最近のテーマのひとつが
“信じる“ということでしたが、
これに関して、豊島神父様は、
“信じることそのものが
幸福の芽生え“という
リーゼンフーバー神父様の言葉を
紹介してくださいました。


何を信じるか、というと、
もちろん、他でもない、
「イエス様の言葉と行い。」・・・


・・・ほんとうに、
“信じる“というのは不思議です。
渇いて、力のなかった心が
一瞬で潤され、
元気になるのを感じます。
この世のエンタメでは与えられない、
心の底からの深い喜びと
生きる力、を感じます。


心の中に、一瞬、
”天の国”がある、のを感じます。





ちなみに、本日8月4日の初金は
司祭の守護の聖人、
ヨハネ・マリア・ビアンネーの
祝日でした。


すべてを捨てて(家庭も持たずに)、
イエス様の招きに応えている
“司祭”という存在が
与えられていること、、

そして、その司祭によって、
今日もミサが捧げられ、
ご聖体を頂いているということ、

これもまた、ほんとうに不思議で
ありがたいこと
だと思います。

・・・確かに、イエス様が、
今も生きて働いておられる
”しるし”に違いありません!


「邪念は自分の心から、
良いものは全部神様から。
物事はいろいろ裏を考えないで、
まっすぐに見ましょう。」


というようなことを、
豊島神父様は
初金ミサのお説教で
おっしゃっいました。


イエス様から、神さまから
こんなに善いものを頂いている、
愛されている、
”宝物”とまで思われている
ことを
まっすぐに、どこまでも、
いつまでも、
信じ続ける素直さ、
の恵みを祈り求めています。


Luna
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神様が働きやすくなる
2017 / 07 / 07 ( Fri ) 09:29:10
2017年7月1日(土)は
共同司式の星野神父様が
説教で
お話して下さいました。


「“ミサに出なくても
神様はゆるして下さる“
と言う方もおられますが、
信仰生活や
祈りというものは
神様が
働きやすくなるのですよ」
と、お話されました。





雨の日も曇りの日も
雲の上には
お日様の光が輝くように
神様の愛は
いつも
私たちを照らしているけれど、
窓を綺麗に磨くと
お日様の光が、
部屋の中によく届くように、
毎日の祈りや
ミサやご聖体で
心の中を整えて頂くことで、
神様の愛と
おはからいに
もっと
気づけますように!


神に感謝!
Elizabeth♪
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流れる愛と親心
2017 / 06 / 14 ( Wed ) 11:40:29
6月11日の日曜日。
この日のごミサで
豊島神父様は
神学校での口頭試問について
話されました。


課題は「三位一体」。
三位一体について説明する
大変難しい試験で
再履修続出の難関。


ちなみに過去に
晴佐久神父様は
すばらしい成績を
おさめられたそうです!!
さすがですね!!
どんな風に若き日の晴佐久神父様は
話されたのでしょうか。


豊島神父様は
父と子と、その間に流れる愛って
説明されたそうです。


とってもわかりやすくて
ステキですね!!


豊島神父様が
どんな成績だったかは
教えてくださいませんでしたが
きっとすばらしい
できばえだったことでしょう。



晴佐久神父様が
幻の名作ミュージカル
「みんなの家」の中で
聖霊のことを「親心」って
書いてらっしゃいましたね。


豊島神父様が
口頭試問を受けられた時は
まだこのミュージカルは
存在していなかったのに、
お二人の間には
何か通じるものがあるんですね。


それこそ、
「聖霊がはたらいてるなあ」と
かかりんは
しみじみしてしまいました。


毎週豊島神父様の語られる
福音からも
目が離せません!!





ますます魅力あふれる多摩教会。
みなさま、ぜひいらしてください。
いつでも大歓迎いたします。



かかりん
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聖霊降臨の日に
2017 / 06 / 05 ( Mon ) 00:08:24
こんばんは!!かかりんです。


6月3日、4日は聖霊降臨の主日で
「聖霊の続唱」を歌うために
合唱団は可能なメンバーは
なるべく土日ともミサに与るように、と
出勤?要請が。



かかりんは都合があいていたので
二日間とも参加しました



そしたらね。


豊島神父様は、二日間、
お説教、完全に違うお話を
話されたんです!!


豊島神父様は
事前に何を話すか
入念に考えられる神父様です。
それなのに。
毎週二つのお説教を
考えていらっしゃる。


どれだけの時間を割いて
頭を悩ませて
くださっているのでしょうか。


信徒の前にはあまり見せない
陰の努力がしのばれて
胸がいっぱいになりました。



豊島神父様、
いつもありがとうございます。


もうすぐ豊島神父様の
霊名の祝日です。
夜金講座のメンバーのAくんが、
大真面目に
お祈りの数を
∞(無限大)って書いてました。
「こういう気持ちなんだ」って
言ってましたよ


豊島神父様には、
多摩教会のみんなが
ついてますからね


かかりんもがんばって
霊的花束に
きれいなお花をそえられるように
お祈りがんばります!!



豊島神父さまが
お元気でこれからもますます
福音を語ることができますように。


神さまが豊島神父様を
聖霊で満たして
力をあふれさせて
くださいますように。


皆様も、
どうぞお祈りお願いしますね



かかりん
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なぜかオチがある
2017 / 04 / 24 ( Mon ) 22:12:59
4月23日のごミサで
豊島神父様は
こんなことをおっしゃいました。






「復活の主日のパーティーの時、
お酒で乾杯を断る
つきあいの悪い主任司祭でしたが、
こういう日こそ、
病床訪問をしなくちゃ、と思っていた。
運転をするので
お酒は断っていたわけです。
 

病院に行き、ホームに行き、
お宅を何軒も訪問し、
最後にずっと昔からの知り合いのいる
ホスピスにお見舞いに寄った。


自分がごく若いころから知っている方で
その人はとても喜んでくださって、
『あなたがこうして
いろんながまんをして
努力をして立派になっている姿を
見せてくれることが私の喜びです。』
こう言われて
思わずこちらもこみあげてくるものがあった。」
だいたいこんな内容だったと思います。


かかりん含め、周囲にも
涙ぐむ方多数。


「いいお話だなあ。」と感動することしきり。
病床訪問のために
お酒を断っていらっしゃる姿勢、
知人の方とのやりとりなど
感動スポット満載。


でも。
「最後に病室を出る時、その方は
こうおっしゃった。


『来てくださってありがとうございました、
幸田神父様!』



・・・場内、困惑と、爆笑。



豊島神父様は
すばらしいお説教の語り手なんですが、
感動にひたっていると必ずなぜか
オチがあるんです・・・。


神父様、
照れ屋さんで、会衆に感動されると
いたたまれないのかもですが、
落語家じゃないんだから、
たまには最後まで
感動で終わらせてください・・・。笑

オチをつけるのは義経にしておけ。
(by青菜。笑)




かかりん
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出て来なさい!
2017 / 04 / 07 ( Fri ) 20:36:37
今週末は
いよいよ『枝の主日』。
大好きなミサなので
わくわくします


“イエス様が
エルサレムに入場される!“
“何かが起こる!”
”奇蹟が起こるかも?“
"素晴らしいことが起こる!“

さまざまな期待と希望を持って、
約2000年前に
シュロの葉をかざして
イエス様の入場を喜んだであろう
イスラエルの民衆達。


その一人に
なったような気持ちで
シュロの葉をかざします。


“失望”には“希望”を、
“孤独”には“つながり”を
もたらすイエス様。


イエス様の
“ラザロ、出て来なさい”
と大声で叫ばれる声は、
今、まさに、
私達一人ひとりにも
向けられている。
“絶望のなかから、哀しみのなかから
出て来なさい!“
と。


先週の説教で心に残った
言葉です。



w-ようこう



今週、家の前にある
満開のヨウコウ桜に、
ヒヨドリ達が
たくさん、花の蜜を求めて
やってきています。
『空の鳥をよく見なさい』
(マタイ5:26)
と言われた
イエス様の言葉が
思い出されます。


春は、まさに、
もの皆新たに生まれるとき!
という感じが
そこここに満ちあふれていて、
こんな自分も、
日々、新たにされているのだ!
という気持ちが
自然にわいてきます。


来週は、いよいよ
1年の典礼の頂点である
“聖週間”。
“復活“の時を、待ち望みます。



神に感謝!
Elizabeth♪
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四旬節が始まりました!
2017 / 03 / 03 ( Fri ) 16:18:03
2017年3月1日(水)は
『灰の水曜日』。
10時からのミサで
昨年の『枝の主日』の
シュロの枝から作った
灰を受けました。


私たちは
塵から作られて
塵に還る
一瞬の存在だけれども、

ここに
生かされている
神の恵みを
味わいます。



『洗車をすると
車の小さな傷に気づくように
四旬節は
浄めの時期。
自分自身の傷に気づき
さらに
社会の傷に気づきましょう』



と豊島神父は
四旬節のカリタス・ジャパンの
『愛の献金』も
呼びかけられました




神に感謝!
Elizabeth♪
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藤澤神父さまのお歌
2017 / 02 / 14 ( Tue ) 00:54:14
2月11日(土)の多摩教会のミサは
コンベンツアル聖フランシスコ修道会の
藤澤幾義神父さまが
司式してくださいました。


12月にもいらして下さった神父さまです。
どんなお話がきけるのかな、
ワクワク



ゆったりと進むミサの中で、
なんと‼歌を歌ってくださいました。


わずか12歳で殉教した26聖人の一人
ルドビコ茨木の歌です。


朗々としたお声で
伴奏もないのにとってもお上手で、
悲しいけど暗くない、そんな歌でした。


中でもルドビコ茨木はにっこり笑って
槍を受けた、というところが
グサっと胸に突き刺さりました。


ドングリは勇気がないので
殉教なんてとてもとても無理です!
だからこそ
信仰のために命を落とした人達を
尊敬してやみません。


以前雲仙へ行ったとき、
地獄谷の中の
グラグラお湯が沸き立っている所に
看板があって、
棄教を迫られたキリシタンは
すすんで中に入っていって
殉教したと書いてありました。


前に住んでいた静岡でも近くに
小さなキリシタン殉教の碑が
ひっそりと
建っていました。


毎週当たり前のようにミサに与って
ご聖体をいただける幸せ。
ほんの数百年前には
命がけのことだったのですね。


現代に生きて
堂々とクリスチャンを名乗れることに
深く感謝して祈りました。




ドングリ
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キリスト者の後姿
2017 / 02 / 06 ( Mon ) 23:06:50
2月5日の日曜日。
病者の日のごミサのお話。


かかりんは
ごミサの時は
マルタの妹のマリアのように
お話を聴くことに集中したいので
メモはとりません。
なのでちょっと表現が
神父様の言葉と違っていると思います。
でも今日のお話で
一番心をわしづかみにされた箇所。





病者の日のミサをして
病者を訪問しなくちゃ意味がないと思ったので
入院している人のところに
土曜の夕ミサの後に
面会時間ギリギリに訪問して
滞在時間30秒。


大変難しい病気で
筋肉が動かなくなって
とうとう胃の筋肉が動かなくなってしまった。
重篤な状態のその方に
以前聞いたことがある。
どうしてそんなふうに
笑顔でいられるのかと。


その方は
元気だったころは病院で働いていた方で
そのころの患者さんに
もう治らない重い病気で
入院されていて
でも、いつも笑顔を絶やさない方がいた。


その人は病院の人がいる時はいつも笑顔
でも誰もいない時は
一生懸命起き上がって
窓に向かって
ロザリオを唱えていた。
その時


カトリックの人ってこうなんだ。
こういう風でありたい


そう思った。
その経験がなかったら
今、自分はこうではいられなかったかもしれない。


そう答えられた






こんな内容であったと思います。


かかりんはこのお話で涙腺決壊。
そしたらすぐ横ですすり泣く音が。
横を見ると
隣にいたコスモスさんも
涙をずっとぬぐっていらっしゃったのでした。


キリスト者は
こんな風に
病床でロザリオを唱える後姿で
福音宣教をすることができるのだ。


かかりんはそう思いました。


かかりんは
とても弱い心の持ち主なので
かつて5年後生存率50%以下の
難病の疑いがかかった時
とても動揺して
「まだ死にたくない!
こわいよう。」と夫に泣きついたことがあります。


いつか本当にこの世での命の終焉が近づいた時
こんなすばらしいキリスト者の先輩たちのように
凛とした姿でいられたなら、と思います。


豊島神父様のお話、
説教集を出すべきだと思うのは
かかりんだけじゃないと思います。


毎週何気なく語られる
豊島神父様の福音を
たくさんの方にぜひ聞いてほしい、
目にしてほしいと思っています。


豊島神父様、
いつもすばらしい福音をありがとうございます。
今朝ひどく咳込んでいらっしゃいましたが
大丈夫でしょうか。
どうかお身体大切になさってくださいね。




かかりん

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ガリラヤから始めよう
2017 / 01 / 26 ( Thu ) 00:17:39
2017年1月21日(土)は
第3主日。
福音朗読は
マタイ4章12節からでした。





イエス様は、
ガリラヤから
宣教を始められましたが、
ガリラヤは、当時
静かな田園地帯というより
賑やかで
混沌の地だったそうです。
これより南ユダの地は
荒れ地で、井戸をめぐって
争いが絶えないところ。


私のガリラヤのイメージは、
復活の主イエスが
弟子たちを待っていた場所で、
弟子たちとイエスの
輝かしい宣教の旅をした
思い出の場所。
この日閉祭で歌った
典礼聖歌集368番の
『ガリラヤの風薫る丘で~
という
のどかなイメージでした。


山上の説教をされたのも
ガリラヤ湖畔の丘で、
湖の上を歩いたのも、
嵐の湖の小舟でイエス様が
眠っていたのも
ガリラヤ湖。


でも、
ヨルダン川の恵みである
淡水湖のガリラヤ湖は
大切な水源で
当時からオリーブ畑が広がる
田園が広がっていますが、
その南の乾燥した
ユダの地との境目であったため、
また、
交通の要衝であったことから、
ガリラヤ湖畔は
かなり混沌とした土地だった
ようです。


このような混沌とした場所で
イエス様が宣教を始められたように
私たちも
大変なことのある状況から
始めていきましょう
という
豊島神父の言葉が
心に残りました。





色々
大変なこともあるけれど、
私たちは
いつからでも新しくなれる。


この日の入祭の歌は
『新しい歌を主に歌え』
でした。
今、ここから
新しい自分に出会う旅を
始められるよう
天の父に祈ります。



神に感謝!
Elizabeth♪
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