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12月15日(土)の入門講座を終えて
2012 / 12 / 18 ( Tue ) 00:31:09
入門講座に係として出席するようになって半年余り。

講座はその名の通り
キリスト教を知らない人のためにあるのだけれど、
出席者の中には信者の方もちらほら。

なぜ信者なのに?と思われるかもしれないけれど、
信者だからといって
キリスト教のことをよくわかっている人ばかりではない。

私のように幼児洗礼者の中には、
小さい頃は当たり前のようにミサに与かっていたけれど、
聖書もまともに読んだことがないとか
教会に行くのはクリスマスとイースターだけで
長いこと教会から遠ざかっていたなんていう人もいるはず。


何らかの理由で再び教会へと導かれ、
何か精神的な支えがほしくて、
あるいは自らのルーツを知りたくて
講座に参加するようになる。

そして求道者のように新鮮な気持ちでお話を聞く。
ここに新たなキリストとの出会いがあり
何のために生きているのか
自分の存在意義(使命)みたいなものについて考える
なんてこともあっていい気がする。



たとえば、今日の講座で語られた
カトリック教会の『秘跡』のお話

~秘跡:神の愛の目に見える、手で触れられる『しるし』~

ずっと「秘蹟」と思っていたけれど、いつの間にか変わったらしい。
確かに「跡」と言う字の方がわかりやすい。

~足跡、その人、本物がそこにいたしるし~
「目には見えない秘められたものが、
目に見えるしるしで私達の前に現れた」

神父様のたとえはわかりやすくて

「母の愛は見えないけれど、
お母さんの作ったお弁当は目に見える」

それを神の愛と人間の関係にすると

「神の愛は見えないけれど、
キリストの生き方を通して私たちは神の愛を知る。
キリストが目の前に立ち、人として語る。
手を握り、ぎゅっと抱きしめて
本当にお前を愛しているよと語りかける。
時には小さな一人の心を守るために激高するようなイエス。
(マタイ19)
純粋で清らかで完全なキリストこそ
神の愛の『秘跡』そのもの。」



「洗礼、堅信、ミサ、告解、結婚、(病人への)塗油、叙階」という
何か特別で儀式的な堅苦しいイメージだった『秘跡』が
自分の中で親しみのあるぐっと身近なものとなる。



秘跡・・・
この神様の深い愛に一人でも多くの人が気づくように
クリスマスを前に心から祈る。


 クリームパンより 


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