「十字を切る」
2013 / 05 / 31 ( Fri ) 00:30:00
5月24日(金曜日)の入門講座で
三位一体についてお話しになっていたとき、晴佐久神父様は

「私が書いた『十字を切る』に詳しく説明してあるから、
読んでくださいね~。3年かけて書いたんですよ。」


と自著を宣伝()。

3年も!と思い、気になったので、(え?
ところどころ読み返してみました。そして、あらためて、
何度も読み返したくなる、とても内容の濃い
素晴らしい本だと思いました。


神父様もおっしゃっていましたが、このような霊的な本は
その時々の精神状態や状況によって、
心に響く箇所が違ってくるもの。

・・今回は『アーメン』の章がとても心に残りました。

特に、″み心のままに″、について書かれた次のくだりが
何の恐れも感じずに、心からアーメン、はい、その通りです、と
すっと心に入ってきたのは、嬉しい発見でした。

それまでは、そうはいっても・・・、と必ず後に
ぐずぐず付け加えたくなったのが常だったのですが

これも、毎週、神父様から福音のシャワーを浴びせられてきた
おかげでしょうか。


「すべては、あのキリストの十字架から始まりました。
・・・(中略)

 『アッバ、父よ。あなたは何でもおできになります。
 この杯をわたしから取りのけてください。
 しかし、わたしが願うことではなく、
 み心にかなうことが行われますように。』(マルコ14・36)

イエスも無力の底で祈ったのです。助けてくれ、と。
わたしたちもイエスとともに無心に祈っていいのです。
助けてください、と。

そのイエスの願いは聞き入れられました。
『わたしの』願いではなく、神のみ心が行われるように
という願いです。ですから、わたしたちは、もう安心です。
わたしたちはすでに、『わたしの』願いがかなうのではなく
神のみ心がかなうことが、どれほど素晴らしいことであるかを、
イエスの十字架と復活によって知っているのですから。
・・・
十字を切るときは、『わたしの』願いをはるかに超えた、
天の父のみ心が、かなうときなのです。
(「十字を切る」P190-191)

     
じめじめした鬱陶しい梅雨がはじまりました。
でも、神さまのことを思うとき、心の中は暖かい日が差して、
希望が満ちてくるのを感じます。

イエス様の兄弟にしていただけた、神の子にしていただけた!
信じられな~い!!くらいの大きな恵みに感謝しつつ、
「父と子と聖霊のみ名によって、アーメン」
これからも、十字を切り続けたいと思います。



Luna  
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父と子と聖霊の交わり
2013 / 05 / 27 ( Mon ) 23:00:00
5月24日の入門講座にも、
まったく初めての方がいらしてくださいました!!
帰り際に「とても楽しかったです。」と言ってお帰りになりました。
係一同、一番嬉しい言葉です!!
ぜひまたいらしてくださいね!!

       

この日の講座は三位一体についてでした。

ただ愛すのが神の仕事。
私の一番になすべきことは、神に愛されること。


『こんなに愛したのに返さないのか。取り上げるぞ』これは
取引であって、そんなものは神でも愛でもない。
神はただ愛したい。私はそういう愛の中でただ、
ああ良かったと安心して、恵みを見いだしてわかちあう。

心からやりたいことを好きなようにしたらいいんですよ。
それをこうしなきゃ、ああしなきゃ、
と皆何かそういうものにとらわれている。

イエス様は十字架にかかっても、ただ愛している。

これだけ苦しんでるんだから、もっとこれをしろよ、とは言わない。
押しつけない。
『私は背負うよ。あんたたちは背負わなくてもいいよ。
でも、あんたたちもきっと背負いたくなっちゃうよ。
でも私が背負うから、あんたたちのはそんなに重くないよ。
信頼していらっしゃい。
私の荷は軽いよ。』


ただ愛す神が伝わっていない。
肝心なところが伝わっていない。
一番『救われない』と辛い思いをしている人に、
『あなたは救われる』と言い続けますよ。

『こんな私は絶対救われない』て思ってる人に
『あなたは信仰生活を生きていけば、必ず救われる』
なんて言うのは私には虐待に思える。
足がない人に走れって言ってるようじゃないですか。
あなたも絶対救われる、って言ってあげていいんじゃないですかね。
一番弱いところに水準を合わせて、そこを守れれば
絶対全体が守られるはず。
父と子と聖霊に全ての人が絶対救われる神秘。

この世のものを神としていると最も大切な
父と子と聖霊の世界が見えなくなってしまう。

父と子と聖霊の交わり、こう考えると
この中に入れてもらえそうってかんじでしょ?
神単体だと入りにくい。
単体だとなんかわかんない存在になっちゃう。
それが父と子と聖霊の交わりとなると、
私はですよ、私はすごくピンとくる。

交わりがあるから存在が生まれてくるわけで、
むしろ、交わりが本質。
神さまのことを交わり様と呼んでもいいくらい。
以前、そういったら、不評でしたけどね・・・


聖霊は目に見えない神の愛を目に見える形にする。
聖霊は、神の親心。神様の愛、はたらき、思い。


      

三位一体ってイメージがわきにくいと思うのですが、
交わり、という言葉でぐっとわかりやすくなったのでは
ないでしょうか。

晴佐久神父様の入門講座は、
毎回その頃の神父様の体験を通して
時事ネタを交えたり
教会の若者の実話を通したり
実にバラエティーに富んでしかも面白いのですが、
大切なことをちゃんと語っていて
それが全て原稿なしってところが
やっぱりスゴイと思います。
聖霊がはたらくってことを
目に見えるようになさってると思います。

こんなスゴイ講座がお茶とお菓子がついて、
初めていらして入門講座申込書を書いた方には
本のプレゼントもあって、なんと無料です!!
さあ、行かなくちゃ、いつ行くの?今でしょ!!
・・・スミマセン、ふざけすぎました。

では、まじめに。
いつでも、心から、あなたを、お待ちしています。


かかりん  



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ラファエロとイスラエル料理 前編
2013 / 05 / 22 ( Wed ) 16:00:30
こんにちわ!Therese です。blog、大分お休みしましたが、
大好きな多摩教会で相変わらず元気にしております。:-)

           

神父様がお説教でラファエロ展を熱く薦めていらっしゃったので、
「これは見なくては…!」と思い、
平日の昼間を狙っていって参りました。

(6/2までだそうですよ、興味がある方。お急ぎくださいませ!)

ちなみに、土曜日にいきましたら凄まじい長蛇の列で、
落ち着いて見たかったので 平日の休みに出直したのです。


ご一緒してくれた友達もカトリックの人なのですが、
まず、美術館より腹ごしらえ!!
ということでずっと行ってみたかった

「イスラエル料理TA -IM 」でお昼を。

恵比寿駅から徒歩10分。ちょっと歩きますが、
お散歩にはもってこいで程よくお腹もグー。

イスラエル料理‥それは勿論、

イエス様がどんなお食事をなさってたのかな?
片鱗だけでも知りたかったから!


店内は小さいですが、とてもシンプルでいい雰囲気。
白い壁に沢山、ヘブライ文字で名前が書かれてたり、
魚と器のお皿や、イスラエルの地図もあって、異国情緒たっぷり。
テルアビブ出身のおじさんがお一人で切り盛りしていました。

イスラエルの定番料理を盛り付けた
ランチプレートを注文しました。


p-料理iイスラエル p-ヘブライ語



その間、親父さんとおしゃべりしましたが、
日本語、英語、フランス語、ヘブライ語、かなり語学に堪能で、
ユダヤ人は自国を追われた歴史のために
マルチリンガルの方が多いようです。

練習のために、三人で英語で会話に挑戦…。
日本にいる気がしなくなってきました。汗

「ナゼ君たちはイスラエル料理食べて見ようと思ったの?」

そ、それは‥
「Because, we're カトリックなんですよ!ハハ!!」

アーなるほどねー。と親父さん。

私「イスラエルの食事は昔から変わらないですか?」

親父さん「ほとんど同じ。フムス(ひよこ豆のディップ、
ピタというパンにつける)は絶対2000年前もあったよ。」

わー、じゃあイエス様も食べたね?

親父さんは、ユダヤ人でユダヤ教だから聖書は読むけれど、
旧約だけなんだそうです。
「長いよね、面白くない記述は飛ばしちゃうんだ笑」

さあ、お料理。
ワンプレートに
ファラフェル(サクサクしたひよこ豆のコロッケ)
フムス(ひよこ豆のディップ)
ババガヌシュ(蒸した焼きナスのディップ)
ピタ(薄くてシンプルなイスラエルのパン)

美味しい、美味しい!と食べていたら
親父さん「辛いの好き?ジーザスも辛いの食べたよ!(笑)」と
辛い香辛料をつけてくれました。

「ジーザス、これも好きだったよ!」
とピタにつける、パクチーとオリーブ油のソースも。

ヤーダ、なんでもジーザスと言われて
冗談みたい。でも、心使いが嬉しかったです。

最後はヘブライ文字で私たちの名前を書いてくれました。

「子音と母音を表してるのかな?ハングルみたい…」
全く読めないけど、ダンさん、ありがとう!


イエス様もユダヤ人で、こんなようなお食事をなさったかな?
と思うとちょっと楽しかったです。



後編、いよいよラファエロを見に上野ヘレッツゴー!!(^-^)v


Therese

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小さな出来事、小さな出会いを大切に
2013 / 05 / 21 ( Tue ) 00:20:50
多摩市落合のイエスのカリタス修道院、シスター松山に代わり、
シスター白濱(しらはま)が
日曜日の入門講座をお手伝いしてくださることになり、
5月19日に初めてお見えになりました。

南米ブラジルや奄美大島で福音宣教活動を
なさっていた貴重な体験談なども、これから伺えることでしょう。

「その日、その日の小さな出来事、小さな出会いを大切にしましょう。
その時々に応じて、きっと神様と出会っているのです」
 と、
お話しになりました。


出会いの大切さに、改めて心を向けた聖霊降臨の主日でした。



ナンクルナイサー
   
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私たちは幸い
2013 / 05 / 19 ( Sun ) 08:00:00
こんばんは、かかりんです。

先週来てくださったステキなお母様とお嬢さん、
17日の講座にも続けて来てくださいました。
そのお母様が、
「毎週こんなお話が聞けるなんて
すごく恵まれた教会だと思います!!」と
力をこめておっしゃってくださいました。
ありがとうございます!


さて、5月17日のお話は。

「この世の身体は弱いし傷つきやすいし欲望ばっかり。
そうは言ってもなるべく長くこの世の身体で楽しみたい、
って思ってるでしょ?

でも、天の身体になったら
『もっと早く言ってよ~!!』って思いますよ。

それでも、天で振り返ると
あんな不自由な身体で一生懸命生きた、
これもすばらしい恵みの時だったとつくづくとわかる。
全ては恵みのうちにあるんです。

明日、あさっては聖霊降臨です。
復活祭、聖霊降臨、降誕祭、の三大お祝いのひとつ。
教会の誕生日です。
HAPPY BIRTHDAY DEAR CHURCH~♪
(ここで本当に神父様歌ってました。)

聖なる霊の働きをいつもいつも感じていたい。
そのお手伝いをして、日々生きている。
そのためならちょっとくらい風邪ひいてても働きますよ~。
それは聖霊が働いているから。

今なお働くイエス=キリスト。
目に見えないキリストを信じて私たちが働くならば
私たちは目に見えるキリストになる。

聖霊降臨は五旬節の日から始まってまだ終わっていない。
二千年間降臨しまくり、降臨しつづけ。
聖霊の働きは共同体的。
私たちが共にいる時に働く。

自分一人では何もできないと思い、
ミサに来て祈り、キリスト者に祈ってもらい、
共にいる喜びを味わってこそ、新しい意味がもたらされる。
一人でやる、というのは傲慢ですよ。

神からあふれてきた恵みを相続して
次に流していく。
みんなにわけてあげる。
永遠が始まっている。
私たちは幸い、信じる人生を生きて行こうじゃないですか。」


この日、神父様は信徒館に入って来るなり
風邪ひいた、のどが痛い、とおっしゃったのですが
定刻の八時半を30分近く延長して
熱い福音が語られました。

途中、新しいパパ様のお説教の内容を
読んでくださったりしたのですが、
神父様は「これ聞いてどう思いました?
私は、『あ、パパ様は原稿読んでない』と思いましたよ。

私も説教者だからわかる。
聖霊がくだって原稿見ずに話してますよ。」
とおっしゃいました。


どう思いました?と聞かれた時に、かかりんが思ったのは。

そのお説教の中に「神は私たちを子として愛してくださって、
私たちは子として神に甘えることができます
というような内容があって、

「あ、いつも神父様がおっしゃるのと同じだ、
さすがカトリック、普遍的!!」でした。



神父様、いつも福音をありがとうございます。
でもやっぱり、この世の身体もお大事になさってくださいね。

風邪が早くよくなりますように。



かかりん
  
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永遠のいのち
2013 / 05 / 18 ( Sat ) 08:00:00
お久しぶりです。かかりんです。

上の子供が進学して土日も朝練のある部活に入り、
毎朝五時に起きてお弁当を作らねばならなくなりました。
なので金曜の講座から帰宅して夜11時前後、
その後ブログの記事をまとめる気力と体力が
残っていませんでした。
でも病気などをしていたわけではなく、元気です。
心配してくださった方、お祈りしてくださった方、
ありがとうございます。


そんなわけで、今日は先週の講座から。

5月10日の入門講座には、
カトリック教会が初めてのステキなお母様とお嬢さんが
いらしてくださいました。
誰かのお友達でも口コミでもない、
まったく初めての方が参加してくださって神父様大喜び。
いつにも増してお話に力がこもっていたように思います。

          

「世の中は見に見えるものばかりになっちゃって
見えない世界に対するセンスが薄れてきちゃう。
私なんかは意地っ張りだから、見える世界はほどほどにしている。
見える世界は面白いけど、絶対じゃない。
見えるものは過ぎ去るけど、見えないものは永遠。

私は永遠のつづらに手をのばしますよ。
この欲深さ、これはでも神が与えてくれた欲。
そういう欲に忠実であればいいと思いますよ。

永遠のいのち。
イエス様の語った、それは何か。
あなたが本当に求めるのはその命。
目には見えない本当の神の命。
それを知ったら全ての人が欲しがるはず。

『いいや、私はいらない』とは言わせない。
あなたが本当に願っているのは何であるか。
永遠の命を与えている神様のすばらしさを
知ればあなたは必ずひれ伏すはず。

100%の福音を、私は福音と呼びたい。
ある人には福音だけど、別の人にはそうじゃない、
そんなものは福音とは呼べない。
全ての人にとって福音じゃないと、福音とは言えないんです。
皆さんには福音と言う言葉に敏感であってほしい。

『救いは福音によってのみ。』
というビジョンを持ってくださいね。
福音=あなたのよろこびの世界。
あなたを救う、あなたにとっての喜びの世界、リアル。
他の誰かが救われたって聞いても
そうなんだ~、よかったね~で終わってしまう。
そうじゃなくて、あなたの救いなんです。

イエスはチームの中に現れます。
人が少ない教会では入門講座は一対一で行われたりするけど
私はそれはしないと決めている。
『私の名によって、二人、また三人集まるところに私はいる。』
と神がおっしゃるから。
幸い多摩教会ではたくさんの方が集まるのでチーム、
家族ができる。そこにイエスがおられる。

私の信仰は徹底して主語は神です。
神が私を信じてくれた。そこから自信がもたらされる。
だからあなたも信じましょう。

私たちは『あなたにいてほしい』という
神の純粋な願いによって存在する。
たくさんもらった人は、また未来にそれを渡して行く。
それが命の流れ。愛の恵みの流れ。
その流れにある時、永遠の命の中に私たちはある。
豊かな流れの中にいる時に、私たちは永遠に生きている。
この楽しい教会を、一緒に楽しもうじゃないですか。」

          


晴佐久神父様は一時間半に渡って
いつも原稿はいっさい見ないで詩をうたうように
お話をなさいます。

かかりんは神父様の語り口の雰囲気がなるべく伝わるように
ブログの記事を書くようにつとめています。
体言止めが多いのも特徴のひとつ。
かかりんがデフォルメしているのではなく、
本当にこういうふうに話されるのです。

その心地良い流れるような語り口の中に、
ちゃんとキリスト教の大事な点が凝縮されて
いつの間にか大事なことが身に付いている、
そんな感じの講座です。


毎週多摩教会で惜しげもなく語られ続けている福音シャワー。
この記事を読んでいるあなたにも、
ぜひ聞きに来ていただきたいです。

いつでも、心を込めて、あなたをお待ちしています。



かかりん 
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鬼!?
2013 / 05 / 17 ( Fri ) 22:43:42
風邪をひいてしまった・・・・

なんだか忙しかったし。
寝不足もあったし。

ディズニーシーに中高生つれてって
はしゃぎすぎたし。
よせばいいのに寒いの我慢して
青年たちとバーベキューやっちゃったし。

京都の講演会日帰りで
その夜 お通夜だったし。
結局、ご葬儀の日の夜から
のどが痛くなったし。

今夜の入門講座を、鼻づまりで
苦しくて、なんとか終えて、 今日は
早く寝ようとしたら、なんと、

入門係が

「神父様、ブログのために何か
書いてください」と紙を持ってきた!

鬼だ! 鬼が出た~~

アーメン。



はれれ
   
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聖母月
2013 / 05 / 16 ( Thu ) 23:30:00
マザー・テレサ カレンダーによる
5月と6月のマザーのことば:

「失敗を恐れてはなりません。
イエスの十字架は、人間から見れば、
なんと大きな失敗だったことでしょう。」

十字架の下にはマリア様が立っておられました。
復活を信じて、マリア様が立っておられました。


5月は聖母月。マリア様に捧げられた月です。


p-クレマチス


Luna

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「キリスト教とは何か」
2013 / 05 / 15 ( Wed ) 22:00:00
「キリスト教とはいったい何であるか、
キリスト教の本質とは何であるか、
自分にとってキリスト者であるということの意味は何かとは、
つねに新たに問い続けなければならない問題なのです。

というのも、キリスト教は子どもでさえ理解することが
できるほど単純な本質のものでありながら、

最もすばらしい学者が生涯をかけて追究しても、
なお知りつくすことができないほど
無限の深みをもつものだからです。

どんな時代のどんな人であっても、
自分にとってのキリスト教を
新たに発見しなければならないのです。」

      ペトロ・ネメシェギ著「キリスト教とは何か」(女子パウロ会)より

     


入門講座を受講してくださる方全員にお配りしている
「キリスト教とは何か」にもう一度目を通していた時、
ネメシェギ神父様のこれらの言葉にハッとしてしまいました。

受洗してウン十年もたつと、
何だかすっかり分かったような気になって
求める心を忘れがちな私。

私たちは神さまのみ前ではいつまでも初心者、
であるどころか、
何にもわからない赤ちゃんでしかないのに・・・。

5月10日(金曜日)の入門講座で、
晴佐久神父様もおっしゃいました。

みな「すぐに過ぎ去ってしまう見えるものばかりを追いかけ、
見えないもの、本当のものを求めようとしない。
本物に対する欲がなさすぎる。」と。



『福音』を聴いて、喜びに輝いている
初めていらした方の顔を思い浮かべながら、
心機一転、今年度の入門講座に、私も新たな気持ちで
与かろうと思ったことでした。


Luna  
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新鮮、簡潔、明解、充実の入門講座!
2013 / 05 / 14 ( Tue ) 14:54:57
「荒野のオアシス」を目指す、カトリック多摩教会の入門講座は
全く自由闊達、しかも教えに忠実です。

晴佐久神父様は難解な「三位一体」も、「永遠の生命」も、
実にわかりやすく説明なさるので、
私のような浅学菲才の粗忽ものでも胸にストンと落ちて納得。

信仰は決して知識だけでなく、
日々の生き様に深くつながっているとわかります。

神様の人間への無限の愛を、
「親のわが子への無償の愛」にたとえ、

惜しみなく注がれる神様の愛を
「この上なく優しい親心」にたとえ、

「アーメン」を、
「親の愛に無心に応える赤ちゃんのほほえみ」にたとえるお話など、

誰にもわかりやすく、実に素晴らしい!

福音宣教の使命に燃えておられる神父様やシスター方の熱意、
実行力のほどがこの入門講座でもビンビンと伝わってきます。


私たちはみんな、神様が出会わせてくださった「天の家族」、
お互いに神様の子として、時間、空間を超えて
永遠の愛に結ばれていると教わり、

顔と顔をあわせての率直、好意的なわかちあい、
やりとりをしながら、言い知れぬ感動、安らぎを覚え、
信仰への道が少しずつ開けてきます。

全ては神様の御手のうちにあります。

不安いっぱい、苦しみ、悲しみに満ちた世の中だからこそ、
心から神様の偉大な愛を信頼し、
希望をもって誠実に生きたいです。

カトリック多摩教会の入門講座へ、あなたもご一緒にぜひどうぞ!



ナンクルナイサー
 
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聖霊、来てください
2013 / 05 / 09 ( Thu ) 23:27:59
人間は旅人のようなものです。
この旅人は、人生の荒れ野を歩みながら、
生きた水を渇き求めます。

光と愛と美と平和に対する深い望みを
根本からいやすことができる、
湧き出る新鮮な水を渇き求めます。

すべての人はこのあこがれを感じています。
そしてイエスは、
この生きた水をわたしたちに与えてくださいます。

それが聖霊です。
聖霊は父から出ます。
この聖霊をイエスはわたしたちの心にあらためて注ぎます。





聖霊は、わたしたちがキリストの目をもって見、
キリストと同じように生涯を生き、
キリストと同じように人生を理解するように教えてくださいます。

だからこそ生きた水である聖霊は
わたしたちの人生の渇きをいやすのです。

聖霊はわたしたちにこう語るからです。

あなたがたは子として神に愛されています。
あなたがたは子として神を愛することができます。
あなたがたは神の恵みによって、
イエスと同じように、神の子として生きることができるのです。


教皇フランシスコ


参照 → 教皇フランシスコの7回目の一般謁見演説 
(カトリック中央協議会HP)


Luna
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お祈り
2013 / 05 / 03 ( Fri ) 22:34:06
カトリックではない兄弟に聞かれました。

「カトリックってさあ、祈るの?」
「ええ!?どゆこと?」
「何か集会とかでも信者が祈ってるイメージないけど。」
「んー。」

多分、カトリック信者って自由祈祷はしないのか?
って質問かとおもわれますが。

しますよ!普通に! 
定型文的なお祈りで済ましちゃう場合もありますが
集会等では神父様が居れば、神父様に祈って頂くんですが
そうでなければ、信者がお祈りしてから集会を始めます。
プロテスタントとかと同じですよ。

だってアニメでもピンクの豚が言ってるじゃないですか!
「祈らないクリスチャンはただの罪人だ!」って(嘘)

自由祈祷も他の宗派(?)とそんなに違わないとおもいますよ。
よなたんも朝はどんだけ急いでいてもちゃんとお祈りしてから
仕事に出かけます。

例えば、朝のお祈りだと 


愛する天の父なる神様、貴方の御名を賛美致します。
新しい朝に感謝致します。
全ての被造物を通して貴方の御名を褒め称えます。
昨夜も守って下さった恵みに感謝致します。

主よ、今日も一日私を罪と咎と悪からお守り下さい。
貴方の愛で私を満たし、全て貴方の忌み嫌われるものが
私に入り込む隙が無いようにして下さい。
今日の全てをお捧げ致します、どうぞ
御心に適った働きが出来ます様助け導いて下さい。
そして、貴方の栄光を輝かせることが出来ます様に。
全ての人が、道であり、真理であり、命である主イエスを知り
栄光を讃えることが出来ます様に。

聖霊様今日も豊かにお働き下さい。
貴方なくして、何も出来ない私を貴方が良いと思われるとおりに
私を用いてお導き下さい。

マリア様お祈り下さい。
貴女の取り次ぎを以ってこの祈りに力を添えて下さいます様に。

イエス様、今日も貴方を待ち望みます。

父と子と聖霊の恵みが
常に私の愛する全ての人の上に有ります様に。
賛美と感謝と喜びの内に私たちの主、
愛するイエス様の御名に拠って。
アーメン。

父と子と聖霊の御名に依って。
アーメン。



まあ、なんと言うかブログ記事の文字数、稼ごうとしてる意図が
みえみえで、お許しください




よなたん  

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神さまに語りかける
2013 / 05 / 01 ( Wed ) 21:30:00
正直私はろくな人間じゃないんです。
アップアップしながら生きていた4年ほどまえに、
そんな私でも、様々な理由から、

「聖書を読みたい」

と思ったことがありました。
でも、聖書は一人で読むには、チンプンカンプンで、
脱線癖のある私にはだれかと一緒でないと読めないのは
明白でした。

多摩教会とは縁がないわけでもなかったし、
住んでいる場所も近いこともあり、いって見ることにしました。
多摩教会の主任司祭になって間もない、
晴佐久神父さまの入門講座がちょうど新しく始まるときでした。


「死ぬ前に少しだけ神様や教会に触れておこう」という、
ちょっと説明するのも嫌になることが動機の一つでしたが、
入門講座で聞く神父さまの話は、本当に心に染み、
漠然と、もうすぐ人生が終わってしまう気がして、
死に方についてあれこれ考えていた私には、
まさに福音でした。

人生、いつ終わるのかは知りませんが、
意味のない虚無感からは解放されました。
そうして受洗する事になったのです。


でも、釈然としないことがありました。

洗礼志願式も無事終えた四旬節のある日、
入門係の人たちに聞いてみました。

「祈るとき、神さまに愚痴をこぼしてはだめですか?
賛美と感謝の祈りなんてなかなかできそうもないのです。」

「愚痴をこぼすことは
神さまと真実の会話をしていることになるからいい祈りです。」

ベテラン信者の入門係さんはそんな風に答えてくれました。
「でも最後に、み旨に従います、と付けましょうね。」



未だにろくでもない私は他の人にはこぼせない愚痴を
神さまにこぼしてます。
み旨に従いますを言い忘れることもあります。
でも時々、賛美や感謝を心から祈ることもできるようになりました。

         


4月21日の堅信式を見て自己を振り返り、
神さまに繋がっていることの大切さを思う今日この頃。


あらためて、感謝。




かなぶん
 
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