私たちは兄弟
2013 / 06 / 29 ( Sat ) 02:07:34
教会の中で無用の人などだれもいません。
だれかが他の人に「帰りなさい。あなたは無用です」
というようなことがあれば、それは真実ではありません。

すべての人がこの神殿を建てるために必要です。
どうでもよい人などだれもいません。

教会の中でもっとも重要な人もいません。
わたしたちは皆、神の目から見て平等です。

あなたがたのうちでこういう人がいるかもしれません。
「教皇様、あなたはわたしたちと同等ではありません」。
いいえ、わたしも皆様と同等です。

わたしたちは皆、平等です。わたしたちは兄弟です。
無名の人など、だれもいません。

わたしたち皆が、教会を構成し、築くのです。


 教皇フランシスコ

参照 → 教皇フランシスコ14回目の一般謁見演説


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Luna
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インマヌエル = 神は私たちと共にいる
2013 / 06 / 27 ( Thu ) 00:43:36
6月21日(金)の入門講座について、
大体の内容はかかりんさんが書いてくださっていますが、
補足として、私の心に残ったことも少し書かせてくださいね~

          

映画「隣る人(となるひと)」に関連して、
インマヌエルということを神父様は強調なさいました。
 
神は私たちと共にいる = インマヌエル。
これは聖書の基本。
神は徹底している。絶対離れない。

イエスは徹底して弟子たちといる。

(今週の聖書と典礼の中の福音を示しながら、)
ほら、ここに面白い表現があります。


『イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちは共にいた。』
                                 (ルカ9章の18節)
ね、“ひとり”、なのに “共にいた”、なんてね!

これは、5000人のパンの増加の後の話で、
イエスはひとりになりたい・・、が疲れていても、
弟子たちとともにいた、ということ。

イエスは常に一緒にいる。死んでも一緒にいる。
マタイの福音書の最後にあるように、

『わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。』

一緒にいるのが家族の定義であるなら、
イエスはまさしく私たちの家族。



ひとりで祈っているイエス様・・・。
弟子たちはただボーっと、休んでいたのでしょうか。

この時のイエス様の祈りは、このあと、
死と復活を予告するのですから、
ほんとうに、ほんとうに深刻な祈り。
なのに、弟子たちときたら!
・・・それは、まるで、今の私の姿のよう!!

イエス様は今もいつも私と共にいてくださっている、
その恵みの大きさを私は十分わかっているだろうか、
と思います・・・十分受け入れているだろうか、と思います。

・・・

なんて寛容な!イエスさま!!に賛美と感謝!!!



Luna  
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ステキな教会家族
2013 / 06 / 25 ( Tue ) 02:31:22
お久しぶりです、かかりんです。
検定試験受験のため、しばし留守にしておりました。

さて、久しぶりに参加した6月21日の入門講座は、
「教会って集まりは、家族。」この言葉で始まりました。

         

この家族は血縁同居の家族以上の何かがあり、
聖なる霊の働きを信じ合っている。
血縁同居の家族より、はるかに可能性を秘めている。
僕らはステキな教会家族をやっていく、という楽しみを
神様から与えられている。

他に多摩教会の信徒で
孤独死なさったお二人の納骨式を
家族として多摩教会が行ったお話、

カトリック映画祭の受賞作品
『隣る人』のお話などがありました。


ちょうどこの日の講座の終わり頃に
長く電話が鳴りました。
かかりんが電話に出ると

「祈ってください」

という遠方にお住まいの女性の方からのお願いでした。
かかりんは、この言葉をそのまま神父様にお伝えしました。

そしたらね。
神父様は、ちゃんとお名前も入れて、
講座の参加者全員と、その方のために
実に心のこもったお祈りをしてくださいました。
最後に全員でアヴェマリアの祈りを唱えました。

お電話くださった方、このブログを見てくださるといいな。
本当に、間違いなく、あなたのためにみんなでお祈りしましたよ。
とても家族的な瞬間でした。

あなたのおかげで参加者みんなが心を一つに
ステキな教会家族になって
祈りを捧げることができました。

ありがとう。



かかりん  

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神のゆるし
2013 / 06 / 18 ( Tue ) 12:00:00
6月14日(金曜日)の入門講座には
新しい方が一人また来てくださいました!嬉しかったです

テーマは主に、今週の福音「罪深い女を赦す」
(ルカ7・36~8・3)について。

この日の神父様は何があったか、
少々、自嘲気味にご自分のことをネタにして、
神さまの無条件の愛とゆるしについて、
いつも以上に熱く語られました!

そして、講座が終わると、今、苦しみの中にあって、
生きる希望を失っている方々のために、
みんなで心を合わせて祈りました。

      

イエス様は見下げられていた人とばかりつき合いました。
そんな人ばかり集まってきました。
悔い改めとは、いい子になることではありません。
悪い子でも救われると知ることです。

この世に何か完全なものを求めたら、
永遠に迷い続けなければならない。
人間は不完全なんだから、完全になる必要はない。

神父だって、弱さをもっている。中身はドロドロ(?!)。
こんな悪い神父でも、神さまは私のことが大好き!
(と力を込めて言い切る。)

こんな神父が神の愛を伝えてるんだから、
それを信じてほしい!

罪びとたちを迎えに来てくれるイエスに
感謝、感激、感動してください。

自分は罪びとだ、自分なんか生きている意味がない、
と思っているのが罪です。
だから、まず、イエスは罪びとのところへ行くんです。
そんな人こそ、神さまは大切にしています。


イエス様と出会う一番の方法、
それは、神から離れているんだということをちゃんと知って、
叫び声を上げることです。

時々は、正直に恐れや迷いをぶつける祈りも、とても大事。
まず、することは苦情、文句、要求を神さまにぶつけること。

ぼくらは泣いていい。泣いてわめいていい。
泣く相手がいる、という希望があるのだから。

イエスさまは事実、来てくれる。

赤ちゃんは、お母さんが行かざるを得ないような声で、
泣くでしょ。(ここで、確か、赤ちゃんの泣き真似をする


人間の親が自分の子を愛しているなら、まして、
神さまはどれほどすべてのわが子を愛しているか!!
完全にゆるし切っているか!!
イエス・キリストはそれを知らせにやってきた。

ミサこそがすべてをゆるすという体験そのもの。
ミサは神さまが与えるもの。ただもらえばいい。
ミサでゆるしを味わってもらいたい。しっかりと。

     

・・・そういえば、日曜日のお説教では ‟ゆるし・キリスト”
とまでおっしゃってましたっけ・・・
       ↓

       (『福音の村』ではユルシ・キリストになってました



Luna 


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「信じるということ」 を 信じましょう。
2013 / 06 / 17 ( Mon ) 00:07:07
6月16日(日)の福音のことばのひとこまは、
《 あなたの信仰が、あなたを救った 》 ルカ 7-50 でした。

入門講座で心に残った晴佐久神父様のお話から・・・



教会に来たあなた、
せっかく教会にやってきたあなたですら、

「私は壮大なウソの世界に巻き込まれるんじゃないだろうか?」
「私は何だかわからないけど、洗脳されるんじゃないだろうか?」

などと、ふと思ったりしたことありませんか?

「宗教」と聞いただけで、何やらウサン臭いもの、
怪しげなのものと思ったりするのが、
世間一般の受け止め方ではないでしょうか。

信ずるということは、
こわいこと、騙されることなんじゃないかと
考えたり、疑ったりするのは、
ある意味、普通の人にとって当たり前のことです。

災害、戦乱、貧困、詐欺被害者をまた騙す二重詐欺、
繰り返される医療ミス など、
全く騙し、騙されることの多い世の中で、
一体何を信じたらいいのか。

だから、何も信じない・・・というのと、
だから、何かを妄信する・・・というのは、
いずれも人間にとって不安、不幸のもとになるに違いありません。

信ずるに足る本当のもの、ホンモノが存在するからこそ、
人間は幸せでいられるのです。

でも、信じるも、信じないも、
それは「限られた知恵の人間中心の努力」に過ぎません。

神様の立ち場は違います。

全智、全能、全善の神様の愛の立場は、
たとえどんなにふつつかな子供でも、
一生懸命愛し続ける親心と同じです。

いわゆる親ばかともいえそうな、
一方的な、ひたすらの愛なのです。

そして、親の愛にただただ無心に甘える、
それが赤ちゃんの姿です。

先ずは、偉大な神様の愛に気づき、目覚めて、
真に信じるに値するものがこの世にあるのだということを
信じましょう。



明日があるさ、明日がある
これまでのお恵みに感謝し、明日を信ずるから生きていける。

神様を片思いのままにしておかないで、
全世界に広がる真の普遍の信仰に心を向け、
たとえささやかでも、自分たちに出来る筈の
福音宣教のお手伝いをしよう!



ナンクルナイサー

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夕陽
2013 / 06 / 15 ( Sat ) 21:00:00
p-夕陽

写真: べるなでった


日の上るところから沈むところまで、
神の名はたたえられる。

(詩編113・3)

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イエスのみ心
2013 / 06 / 12 ( Wed ) 10:00:00
6月7日金曜日の入門講座では、
神父様がいらっしゃらなかったので、参加者数人で、
よなたんさん持参の往年の名画(といわれているらしい)、
「The Robe」(聖衣)を観ました。

1953年のアメリカ映画。半世紀以上前の作品で、
ちょっと冗長な感はありましたが、なかなか面白かったです。

主演が若かりし頃のリチャード・バートン。
懐かしい~!(年がバレる?!)

キリストの処刑に関係したローマの護民官が
キリスト者たちの熱い信仰に触れて回心し、殉教にまで至る
というお話ですが、そこに、キリストが身に着けていた
衣がからんできます。

キリストの受難と復活を目の当たりにした弟子たちが
生き生きと信仰を証ししていた時代、
このようなことが実際に起こったとしても不思議ではないかも~、
と思わされる映画でした。


          


ところで、映画の中で、十字架上のキリストから流れ出た血が
主人公の手の上に落ちるシーンがあったのですが、
ちょうどこの日、6月7日は『イエスのみ心』の祭日。

そのシーンを観て、午前中のミサでの
次のような晴佐久神父様のお説教を思い出したのでした:


「イエス・キリストの胸は刺し貫かれ、
永遠の命の愛の血潮がほとばしりでました。

イエスはその愛の血潮をすべての人の上にほとばしらせました。

想像を絶する神の熱い熱い愛によって、
もう私たちはみんな救われています。

それを知った人たちがキリスト教をはじめました。」



p-アジサイ



6月はイエスのみ心の月です。
詳しくはこちらをどうぞ →イエスのみ心の月


Luna
多摩教会で admin page top↑
聖体拝領
2013 / 06 / 11 ( Tue ) 00:30:00
心が破れそうなほど悲しみでいっぱいの時に
大好きな人が手を取ってくれるだけで
あら 不思議なくらい
笑顔が戻るでしょ


聖体拝領のとき並んでて
もうすぐ大好きなイエス様が
来てくださるって嬉しい  


大好きなイエスさま、私の心の
痛くてたまらないところや
破れ目のとこに
やさしいくちづけ頂くと  


なんでもなくなって
きっと大丈夫なんだって思うから




Therese
   

多摩教会で admin page top↑
人生の旅路の糧
2013 / 06 / 10 ( Mon ) 00:30:00
6月9日(日曜日)の入門講座での晴佐久神父様のお話から: 


人生の旅路の糧、それがご聖体です。

「何はなくとも ご聖体」

私が食べるのじゃなくて、神様が食べさせてくださってるのです。

そして、人生で直面する絶望の時には、

「これはやがて訪れるよい時への 道程(みちのり)だ」 と、

しっかり受け止めることが何より大切。

その時にこそ、神様の愛に心を向けて、

ご聖体を有難くいただきましょう。



 そうです! 喜びの時も、悲しみのときも、ご聖体です!
私は、既にこの世を去った身内、知人、友人で様々な理由から
ご聖体をいただくことが出来なかった人々のためにも、自分が
身代わりにいただいているのだという気持ちで拝領しています。



ナンクルナイサー   
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セールスマン
2013 / 06 / 09 ( Sun ) 00:30:37
教会に来てくださる、おしう‥もとい、セールスマンは
かわいそう。


「こんにちは私、○○システム○と申します。
失礼ですが、こちらはインターネットの
設備等は導入されていますか?」

「はい、Wifi が使えますよ。」

「ああ、そうでしたか。それで、いつ頃導入されましたか?」

「少なくとも2、3年前から、というように聞いて居りますが。」

「ああーそれは古いですね。
今、私どものシステムに代えて頂くと
世界最高水準の技術で快適にインターネットを
お使い頂けますよ。
古いシステムを使い続けるのは
時間とお金の無駄になります
是非とも当社のシステムをご検討
頂きたく伺いました。」

「本日は、責任者が居りませんので申し訳ございませんが
 また、次の機会にお願いできませんでしょうか?」

「責任者様にお会いできる日時と連絡先をお教え願えませんか?
ご都合の宜しいときにまた、お伺いしたいのですが。」

「それは少し難しいかもしれません‥」

「は?」

「もし、お時間が御座いましたら、
 こちらでお待ち頂いてもよろしいですが、
あまり、お勧めは致しません。
責任者は必ず来られますが、いつ来られるか誰も知らない
からです。」

「は?」

「責任者ご自身も知ってはおられず、天のお父様だけがご存知
だからです。」

「困りました。
では、こちからご連絡差し上げるように致しますので
連絡先をお教え願えないでしょうか?」

「それも、難しいかと思います。
責任者は天の神の右の座について居られます。
電話番号や住所といったものは私も存じません。」

「責任者はいったいどなたですか?」

「イエス様です。」

「‥‥ また、出直してまいります。」

「ご希望に添えず申し訳ございません。
また、懲りずにいらして下さい。

教会はどなたにも開かれております^^」







よなたん  
雑談 admin page top↑
ご聖体 ー これだけは譲れないものー
2013 / 06 / 04 ( Tue ) 00:30:00
5月31日の入門講座は、
初めての方が5人もいらしてくださって大にぎわいでした!!
またぜひ続けていらしてくださいね~。
           
この日の講座は6月2日の聖体の主日を前に、
ご聖体ついてのお話が中心に行われました。

           

「カトリック教会は、言葉としるしを大切にしている。
愛してる、って言葉だけじゃ足りない。
その人のために働いたり忍耐したり時間を使って努力してくれる、
そういうしるしが必要です。

赤ちゃんはお母さんを信じます。
かわいいね~、という言葉も大事だけど
どっちかというとしるしが大切。

抱きしめてくれる。オムツかえてくれる。ミルク飲ませてくれる。
しるしがあって初めて言葉にも意味がもたらされる。
この講座もお茶が出てくる、お菓子が出てくる、
みんなが集まっている、そういうしるしが大事なんです。

形にして表すって大切なんですよ。
イエスがそれをやった。

イエスはその活動内容以前にすごく魅力的で、
この人ともっといたいと思わせる人だったんじゃないですか?
けっこうユーモアもあって、いいかんじだったんじゃないですかね。
イケメンだったかは知らないけど、少なくとも
表情と振る舞いで神の国を感じさせるような人だったんじゃ
ないですかね。

カトリックは週に一回集まって、ご聖体を一緒に食べる。
これを二千年間やってきたんです。

教会も細かいことはいろいろ変わりますよ。
そのうち神父は結婚しなければならない、
なんていうふうに変わるかも。(笑)

でも、この先二千年たっても、ご聖体は絶対存在しますよ。
そこだけは譲れないってものがないと、
全てがグダグダになっちゃう。

何が一番大切なしるしかを大切にしないと
何かが失われていく。その失われた尊さは戻ってこない。

カトリッ教会はイエスが遺言としてのこしてくれたご聖体を
そこだけは譲らないでやっていこうねって始まった仲間。
だからちゃんとやっていかないといけない。」


毎週当たり前のようにごミサでいただいているご聖体ですが、
改めてその意味をかみしめて、
これからはいただこうと思いました。



かかりんは所用で二週間ほど講座をお休みします。
みなさま、お元気でお過ごし下さいね。



かかりん   
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ラファエロ展 後編
2013 / 06 / 03 ( Mon ) 00:30:00
Therese です。後編を書くの 遅くなって、ごめんなさい。汗

良いお天気の上野、西洋美術館。見たあとで公園を少しお散歩。
可愛いサイズの図録もあるんですよ。

pp-図録

ラファエロ…、今回の展示のメインはもちろん「大公の聖母」
な訳ですが、私は全体をバーっと眺め見て、
気になる絵の前で止まり凝視、を繰り返していました。

友達も、せっかちに 壁沿いにまるで走り回る(ように見えた)
ように見ているようでした。

大公の聖母のことは神父さまが
とても感動的な美しい表現をなさってくださったので、
他の絵のお話をしたいなと思います。

入ってすぐに ラファエロのお父さんが描いた
絵で、「死せるキリストと天使たち」
がありました。。(お父さんも画家だったらしい。)

天使が十字架から下ろされたイエス様の腕をとって、
撫でさすったり、抱きついたりしています。
なんだか 胸が詰まるような場面で
この天使たちのような心になれたらいいなぁとか…
色々思っていました。


p-キリスト



あとは聖家族(イエス、マリア、ヨセフ)の 絵が
とても暖かく優しくて気に入りました。
しかし、なぜヨセフ様、こんなにおじいさんに描いたんだろう…。

それは、あまりヨセフ様を若くすると
いかにも夫婦らしい感じになるからじゃないかとか、
マリア様は乙女でいらしたから、とか…

でも、本当はヨセフ様は
お若いお父さんだったんじゃないかなと思います。

今回は一緒にいったお友だちからも感想を頂いたので、
あわせて載せます。

ラファエロの絵からは全体を通して、優しさや整った美しさ、
柔らかな愛情が感じられたというのが共通の感想です。

それにしても、例えば…聖人や肖像画であんまりラファエロさん、
気合いを入れなかったんじゃないか?と思う題材と
ものすごい情熱と愛情をもって描いたんだろうな…と思う絵とがあり、
聖母や聖家族を描いたものは、
本当にそんな強い印象を受けました。



pp-1聖家族 pp-2聖家族



ラファエロは母親を8歳で、父親を11歳でなくしているそうで、
もしかしたら家族の愛に対する強い憧れがあった
のかも知れないなと。

そのくらい、聖家族を描いた絵が他と突出して
素晴らしいと思いました。

お友だちの見解ですが(少々堅いですが)

「‥当時は正義の神としての意識が強かったのでは?
聖母や聖家族を取り上げることで、教会に潤い
(親しみやすさ)を与えたかも知れない。
人間となったみことばが
家族という関わりの中で育ったことを表現することで、
キリスト教の根本精神である聖なる愛を思い出す。」
とのことでした。

西洋美術を代表するようなラファエロですが、
西洋の美術史や音楽史をみると、
キリスト教は多くの芸術家、音楽家に
美しいインスピレーションを与えてきたし、
出来る限りの素晴らしいものを
神さまに差し上げたいと、多くの人が努力するなかで
文化が育ち、花開き、
現代の私たちをも楽しませてくれているのを思うと、
時代を越えてラファエロを少し近い人、
に感じることができました。



あと会期も少しになってしまいましたが
もう一度なんとか見てきたいな…

ダビンチ展も東京都美術館でやってるみたいですよ。

ルネサンスの香りいっぱい!


Therese でした 


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キリストの聖体
2013 / 06 / 02 ( Sun ) 23:00:00
教会は、十字架の最高の愛のわざから生まれました。
イエスの開かれた脇腹から生まれました。
この脇腹から、聖体と洗礼の象徴である、
血と水が流れ出たのです。

教会という神の家族を生かす血液は、神の愛です。
神の愛は、区別なく無制限に、
神と他のすべての人を愛することによって具体化されます。

教会は、その中で人が愛し、愛される家族なのです。


教皇フランシスコ

参照 → 教皇フランシスコの10回目の一般謁見演説(カトリック中央協議会HPより)

           
            


神の愛のもっとも明らかなしるしはご聖体!

6月2日(日曜日)は『キリストの聖体』の祭日です。


Luna   
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