ベクトルは不可逆
2015 / 03 / 31 ( Tue ) 15:30:59
3月27日、金曜日。
2014年度、
最後の金曜日の講座です。
この日は神父様は
こんな風にお話をされました。






洗礼は神との結婚みたいなものですから、
この私は愛されている、
必ず救われる、
そういうベクトルをはっきりと持って、
聖なる三日間を
過ごしていただきたいですね。


聖なる三日間、不可逆です。
復活祭から聖金曜日には戻れません。


イエス様が最後の最後に
これだけは握って離すなって
遺言を聞く日なんですね。


『この愛がすべてだ。
その愛の中で、
あんたたちも愛し合いなさいよ。
明日見せてやる。
あんたたちのために
私は命を捨てるよ。
そして三日後の復活で
完全にあなたたちに
証(あかし)してあげよう。』


それが聖木曜日、最後の晩餐。


皆さん、誰か本当に愛する人と、
この世で最後の食事をする、
そのリアリティー想像してみてください。


大切な人を思い浮かべて、
その人とこの世で最後の食事をする、
『あ、このパンうまいね。』
そんなんじゃないでしょう。


イエス様は、はっきり言いました。

『お前を愛している。
明日、お前のために死のう。
そんな本当の愛こそが
永遠のものを生み出す。
あなたたちは、それを体験するよ。』


こんなことされて、
翌日ホントに死なれたら、
その直後に復活の主に出逢ったら、
弟子たちはもう、それに感激して
生まれ変わっちゃって、
二千年経ってもその入り口である
洗礼式を続けている。
なんという恵みでしょう。


皆さんの洗礼式は、
皆さんにとってのビッグバン。
最も重要な日。
そっから先はもう、後には戻らない。


いつでも次へ行ける。
行く前は、怖いけど
行ったら、『あ~来て良かった』ってなる。

やっぱりね、次へ行きましょう。
ベクトルは不可逆です。
絶対に元に戻らない。

キリスト教には矢印があるんです。
イエスは復活しちゃったんです。


イエスの死で弟子たちは、
ユダヤ人を恐れて
ビクビクしながら集まっている。
そこで復活の主に逢い、
弟子たちは皆殉教していきました。


三百年くらい、
殺されても言い続けて、
二千年間キリストは復活し続けている。


私はまず、
復活を体験してくれと言いたい。
それは、教会体験と
ほぼイコールですよね。


キリスト者が信じている、
その大きな復活という働きの中に
私たちはたまらずに引き寄せられて行く。
そういうことですよね。





多摩教会の前の桜は
この日にはまだ
半分も咲いていませんでした。
でもきっと、
復活徹夜祭には今年も満開。



毎年日にちは違うのに、
いつも満開の桜が
新受洗者の皆さんを祝ってくれます。


闇から光へ。
明るいほうへ。


もうすぐ皆さんの顔が
救いの喜びに輝くのを見られる
特別な日が
今年も近づいています。



かかりん
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本日、桜日和
2015 / 03 / 30 ( Mon ) 22:41:04
b-seiten.jpg


満開ではありませんでしたが、

きれいでした~



b-hachibu_201503301659529e0.jpg



さて、
今年度の入門講座は
3月28日(土曜日)をもって
終了いたしました。

新学期は

<春期>4月24日(金)~7月19日(日)

      ※5/1~3はお休み


の予定です。


今年、受洗する方も、しない方も、
来年、受洗しようかな~?
と思っている方も、
受洗のつもりは全くなし!という方も、
どなたでも大歓迎です。


ご一緒に、晴佐久神父様が語る福音に
耳を傾けましょう。


心よりお待ちしております。



Luna 

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聖週間
2015 / 03 / 30 ( Mon ) 00:38:46
2015年3月27日(金)の入門講座での
晴佐久神父様のお話から。






「“聖週間”には、
キリスト教のすべてが
入っています。


闇から光へという恵み。
恐れから希望へ。
無関心から信頼へ。
虚無から意味へ。
変わっていくプロセス。
このベクトルは、
不可逆です。」


「今年は4月2日が聖木曜日。
ザ・ご聖体の日です。
イエスが
私たちを愛したしるし。
パンのしるし。
最後の晩餐で
イエス様の遺言を聴く日。


もうひとつは、
洗足のしるし。
神が人に仕えるしるしです。」


「4月3日聖金曜日のシンボルは
“十字架”です。
犠牲が
永遠なる愛として
大きな実をむすぶ。
私の十字架を背負ってくださって
本当にありがとうございます。
という思いで、
十字架を崇敬し、
頭を下げる。
自分の今までのあらゆる苦しみは、
“永遠のいのち”につながっている。


復活の喜びとセットで、
十字架を見つめて下さい。
“十字架”と“復活”は
切り離せません。
“十字架復活”という
五字熟語で。
すべては
復活祭へ向かっています。」


「4月4日聖土曜日の
日没から始まる復活祭で
新たなステージへ。
清々しい世界に生まれ出る。」


「シンプルに、今、ここに
神様が与えて下さった恵みに感謝しながら
聖週間をすごしてください。」


「感謝できること自体が
有難いこと。
何も与えられていなかったら
感謝の気持ちはでてこない。」





すべては、
死からいのちへ向かっている。
闇から光に向かっている。
という真理を、
2000年間伝えてきた
数限りないキリスト者達。
今、全世界12億のカトリック信者とともに、
多摩教会も、
聖週間を迎えます。



神に感謝!


Elizabeth♪
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フランシスコおじいちゃん
2015 / 03 / 29 ( Sun ) 21:00:00
キリスト教は若者のための宗教(?!)
なんて
耳にしたことがありますが・・・、
いえ、いえ、
そんな風に感じる方には是非、
パパ様のお話を聞いていただきたい
と思います。


ご自分も高齢者であり、
フィリピンでは「ロロキコ」
「フランシスコおじいちゃん」
と呼ばれて歓迎されたパパさま。
高齢者について、次のように
語られました



例によって(^_^;)
一部抜粋してご紹介いたします。






『第一に強調すべき重要な点は、
社会が高齢者を無視しがちであっても、
主は決して彼らを見捨てない
ということです。


主は決して
わたしたちを見捨てません。
主はわたしたちが
人生のどの段階にあっても、
ご自分に従うよう招いておられます。


老年期は恵みと使命のとき
でもあります。
それは主の真の召命です。


老年期は召命です。
まだ、「船をこぐ手を休める」とき
ではありません。

・・・

福音には、
非常に感動的で
励みになる人物像があります。

たとえばシメオンと
アンナの姿です。


彼らは、
ルカによる福音書の中の、
イエスの幼少期に
登場します。


この二人は
確かに高齢者でした。
シメオンは「老人」であり、
女預言者アンナは
84才でした。

・・・

シメオンは
美しい喜びの歌を
即興で歌いました
(ルカ2・29-32参照)。


このとき、
彼は詩人になりました。
そしてアンナは
イエスを伝える
最初の女性となりました。
「エルサレムの救いを
待ち望んでいる人々皆に
幼子のことを話した」
(ルカ2・38)のです。

・・・

祖父母と高齢者の祈りは、
教会にとって
大切なたまものであり
宝です。


その祈りは、
社会全体、
とりわけ忙しすぎる人、
手いっぱいの人、
混乱している人に
多くの知恵を注ぎます

・・・

わたしたちには、
祈ってくれる
高齢者が必要です。
老年期は
そのためにあるからです。
高齢者の祈りは
美しいものです。』



教皇フランシスコ



全文はこちら 

教皇フランシスコ、2015年3月11日の一般謁見演説



Luna
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パパ様より
2015 / 03 / 26 ( Thu ) 21:19:18
苦しみは回心への招きです。

自分は弱く、

脆い存在であることを

思い起こさせてくれます。





これほどまでの

社会からの無関心の中、

各教会やキリスト教共同体が、

いつくしみを与える場と

なりますように。





神が、私たちの心を

善といつくしみで満たしてくださるよう、

自らを神にゆだねましょう 。



教皇フランシスコ




Luna

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ほら、ほんとに、もうすぐなんだよ♪
2015 / 03 / 26 ( Thu ) 00:02:36
b-もうすぐ



「主の復活は私の復活!」

と、3月20日の入門講座で

晴佐久神父様は

力を込めて、おっしゃいました。



b-2もうすぐ


イエス様ご自身が言われます。


「わたしは地上から上げられるとき、

すべての人を

自分のもとへ引き寄せよう。」

(ヨハネ12・32)



Luna
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“復活”がわからない人に
2015 / 03 / 25 ( Wed ) 21:00:42
2015年3月20日(金)入門講座での
晴佐久神父様のお話から。






キリストの復活がなかったら、
教会は無い。
キリスト教の2000年の歴史も
殉教の歴史もない。
すべては、
キリストの復活があったから。


キリストの復活を発火点として、
復活は続いています。
ビッグ・バンから
この宇宙が広がり続けているように。


わたしたちの
この世の身体は種粒。
第1コリント15章35節~49節で
パウロがたとえたように、
種からは想像できないような、
朽ちないものに復活します。
今とは比較にならないほど、
決定的に違うステージへ。


“復活”を、
理解してから信じようとしても
無理。
キリスト者の生き方を見て
知るしかない。


洗礼式は、復活祭で行われます。
それは、日没とともに始まる。
暗闇のなか、
“復活のろうそく”がともされる。
それは、神秘。

神様が生んで下さらなかったら、
私たちも、この世界も、何もない。
今、ここがすべて、という透明感。
“宇宙の透明感”
に、心をひらいてください。


“復活のろうそく”は、
とても大事なシンボルです。
闇に、光が。
そこから、
すべてが始まる。
復活のシンボルを、
しっかりと
受け止めてほしい。


復活祭にあずかっているとき、
秘跡にふれているとき、
そのむこうの
神様の愛に
ふれているときです。


自分が、
まさに今、
復活しているのだと、
体験してください。
頭で理解するのではなく、
体験することです。






『わたしは復活であり、命である。

わたしを信じる者は、死んでも生きる。』

(ヨハネ伝11-25)

と、語られたイエス様の復活を信じる仲間が
世界中に数十億人もいるなんて、
なんと心強いことか、
と思わされました!



神に感謝!


Elizabeth♪
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透明なキリスト
2015 / 03 / 22 ( Sun ) 01:34:04
3月20日、金曜日の入門講座。
神父様はこんなふうに
話し始めました。






『佐藤初女さん、
森のイスキアって癒しの場で、
ずいぶんいろんな人が癒されたようです。


93歳に
「自然に待ちましょう」って言われて、
93年あれば
待てるかもしれないですけど、
若い方はそんなに待てない
かもしれませんが、
答えはそっちにあるんだろうな、
と思います。


やっぱり10年待つ、20年待つ、ってのは
透明感があって、いいですよね。
キリスト教って、
すごく透明な宗教なんですね。


透明感が感じられないようなら、
それはキリスト教と違うんじゃないって
思うんですよね。


ラファエロでもボッチチェルリでも、
綺麗な西洋人のマリア様
だったりするんですよね。
悪くはないですよ。
キリスト教の本質が
にじみ出ているような部分もね、
西洋キリスト教を経由して
出逢ってるわけですからね。


入り口としては
全然かまわないけど、
もっと透明感のあるね、
ホントにその
宇宙の創り主である神の愛なんて、
全然別の話ですよね。


ついつい我々はそういうものに、
わかりやすいイメージとかに
頼りがちですが、
もっと普遍的で、もっと正直で、
もっと皆が、どんなセンスの人でも
きちんとつながれるような、
そういうキリスト教ってものに
つながりましょうね。


それほど簡単な道ではない
かも知れないけど、
色がつかないようにってね。

透明なキリストってものに
やっぱり憧れて欲しいと思いますね。


ホントにイエス様を見つめると、
神の愛だけが見える。
神の愛のみ。』







透明なキリスト。
この日幾度となく繰り返された言葉、
「透明感」。
イエス様にふさわしい
ステキなイメージだと思いました。

来週27日で、
今年度の金曜の講座はおしまいです。


もちろん来年度も
晴佐久神父様の福音は
シャワーのようにどんどん語られますが、
洗礼式の後は4月末まで
入門講座も少しお休みをいただくので、
来週は、お聴き逃しのないように。


金曜日は多摩教会へ!!




かかりん
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天の言葉を聴く時間
2015 / 03 / 21 ( Sat ) 15:37:05
ちょっとバタバタしていて
書くのが遅れてしまいましたが、
3月13日の金曜日の入門講座では
こんなお話がありました。






ぜひ、みなさんも祈りの習慣つけてくださいね。

安心してゆだねる。
でもこれが難しいんですね。
今日で自分を終わりにしようって
思っちゃうのは、
自分が必要とされて生まれて来たって
体感してないんですよ。


必ず助けてくれる存在として
神を感じる。
どうにかして皆さんの心を開いて、
甘える心、
目覚める心に
目覚めて欲しいんですけどね。


一日一瞬でもいいから、
救ってくださる神に
目覚めようとする努力を
してほしいんですよね。
一日一度は
静かに祈る時を持つべきです。


余談ですけど、私、
瞑想ってのはあんまりしないんです。
ぼーっとしてるんですよ。
あれが瞑想ですね。
ぼーっとのススメって本を
書きましょうか。


だいたい皆考え過ぎですから、
余計なことを。
少しそういうのから離れて。
皆さんこの世の情報に
惑わされ過ぎなんで。


これ以上もう情報は
入れなくてもいいんじゃないですかね。
私的にはぼーっとするってのが
一番近いんですがね。
自分の頭の回路を切って、
神様の世界と向かい合う。
天の言葉を聴く時間ですね。






この日は
「主に捧げる24時間」として
聖堂で祈りを捧げる日でした。


かかりんが
入門講座のお茶の時間に
聖堂に行くと、
たくさんの人が
祈りを捧げていました。


教皇様のお言葉で、
世界中の信徒たちが
聖堂で絶えることなく祈る。
とても美しい光景でした。


かかりんも短い時間でしたが
祈りのリレーに
参加しました。
カトリックってステキだなあ、
と改めて思った一日でした。




かかりん 
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神がまずわたしたちを
2015 / 03 / 18 ( Wed ) 23:30:33
3月13,14日の
多摩教会『祈りのリレー』の元となった、
2015年四旬節教皇メッセージの
冒頭部分をご紹介します。





四旬節は、全教会、各共同体、
そして信者一人ひとりにとって
心を新たにするときです。

それは、とりわけ「恵みの時」
(二コリント6・2)です。
神は、ご自分が
まだお与えになっていないものを、
わたしたちに求めることはありません。


「わたしたちが愛するのは、
神がまずわたしたちを
愛してくださったからです」
(一ヨハネ4・19)。


神は、冷淡なかたではありません。
神はわたしたち一人ひとりを
心に留めておられます。
そして、
わたしたちを名前で覚えていて、
わたしたちを気遣い、
わたしたちが
神から離れてしまったときは
いつでも探してくださいます。


神は一人ひとりのことを
心にかけておられます。
神はわたしたちを愛しておられるので、
わたしたちに起きることに
心を配らずにはいられません。



教皇フランシスコ


(全文はこちら →2015年 四旬節教皇メッセージ





はじまりはいつもここ、
そして、
おわりも・・・。


神さまに賛美と感謝!!


Luna
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聖体賛美式
2015 / 03 / 17 ( Tue ) 09:56:38
カトリック多摩教会では、
教皇フランシスコ様の呼びかけに応えて、
「主にささげる24時間」として
信者が交代で祈りのリレーを
聖堂でささげました。



祈りのリレーは、
3月13日(金):
18時30分からの聖体賛美式後、
22時まで、
3月14日(土):
午前10時からの聖体賛美式後、
18時30分の夕ミサまででした。





3月13日(金)の入門講座は、
聖体賛美式の後、
信徒館1階で行われました。


入門講座での
晴佐久神父様のお話も、
「祈り」について。

神父様の詩集
『だいじょうぶだよ』
のなかから、
「祈るときは」
という詩を
お読み下さいました。


「“祈り”は、
受けとめるイメージで。
自分が祈る前に、
いっぱい
天上から
祈られています。

まずは、神の愛を受け止めて。
どうか、ぬくもりに包まれて、
安心してください。

“祈り”の本質は、
“パパ!”と神に甘えること。
安心してゆだねることです。」

「ぜひ、
祈りの習慣を
つけてくださいね。」

『あなた方の父は、
願う前から
あなた方に必要なものを
ご存知なのだ。』
(マタイ6章8節)



「“助けて!”と祈る前に、
すでに
助けてくださっている
神を感じることです。

信じて続けないと!

神の愛を受け止める
“祈り”の瞬間を、
1日1回はもってください。
5分でもいい。
救ってくださっている神に
目覚める努力を。」

「“祈り”の最高峰は
ミサです。
神様の懐に抱かれる体験を
してください。」

「祈りが大事なのは、
祈って、神とつながる状態に、
救いがあるからです。」





ミサは、自分の思いわずらいを手放して、
神の愛にのみ心を開いて、
キリストと一致する時。
天国の入口のようなミサが大好きです。



神に感謝!


Elizabeth♪
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つぼみ
2015 / 03 / 17 ( Tue ) 01:31:24
b-Tubomi.jpg

もうすぐ・・・


Luna
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パパ様より
2015 / 03 / 16 ( Mon ) 19:10:07
四旬節は、

神のみことばと秘跡によって、

キリストに近づく季節です。



快適さには気をつけてください。

快適に過ごしていると、

他者のことを忘れがちです。



もっとも困難な時、

思い起こしてください。

神は私たちのおん父であり、

その子らを見捨てないということを 。



謙遜さにより、

人は救われます。

尊大さにより、

人は自らの道を踏み外してしまいます。



岩の上に、

私たちの信仰生活を築きましょう。

その岩とはキリストです 。



教皇フランシスコ








教皇様の「福音の喜び」のⅠ章20
『出向いていく教会』の中にも
こんな一節がありました。


(すべてのキリスト者は)
「自分にとって
快適な場所から出て行って、
福音の光を必要としている
隅に追いやられたすべての人に
それを届ける勇気をもつよう
招かれている。」


〝隅に追いやられたすべての人に″
というのが、
いかにもパパ様!!
ですね~



Luna

未分類 admin page top↑
祈りは運命を呼びさます
2015 / 03 / 12 ( Thu ) 10:14:56
晴佐久神父様が
高校時代に感銘を受けた、という
倉田百三著『出家とその弟子』
を読みました。



親鸞の後半生を
モチーフとした戯曲で、
ノーベル文学賞を受賞した
ロマン・ロランも
英訳を読んで感動し、
西欧精神と
東亜精神が結合調和した
文芸作品と絶賛。
仏訳への序を
書いています。


1117年(大正7年)に出版され、
夏目漱石の『こころ』と並び
岩波書店のベストセラーとなり、
青年の必読書とまで言われたそうです。
岩波文庫版には、
昭和26年に
谷川俊太郎さんのお父上で
哲学者の
谷川徹三さんが解説を書かれています。



祈りは、
願いとさだめをつなぐもの。
祈りは、運命をよびさまし、運命を作り出す。
実行の一番深いもの。

晴佐久神父様の福音と同じように
深く清らかな
精神生活の泉を
感じました。





神に感謝!


Elizabeth♪
雑談 admin page top↑
天の父の見事なデザイン(10) すべて おまかせ
2015 / 03 / 11 ( Wed ) 14:30:11

b-蝶_0013 のコピー


リュウキュウコミスジ ♂



「はたはた飛び」と

「滑空飛び」 とを

おりまぜて

南の空に

悠々と舞う日々

全ては天の父にお任せだよ


人間さまほどの

知識や知恵はないけれど

いただいた大事な命を

ちゃーんと 生きてるんだ

いつでも、どこでも 神に感謝!





(往年、沖縄本島で撮影)ナンクルナイサー

未分類 admin page top↑
十字架の道行(みちゆき)
2015 / 03 / 10 ( Tue ) 21:46:54
2015年3月8日(日)は
四旬節第3主日。
ミサの後、
晴佐久神父様とともに
教会学校の子どもたちを中心に
『十字架の道行』の祈りを
行いました。






『十字架の道行』は、
御受難の各場面を、
黙想する祈り。


多摩教会の
聖堂の壁には、
ご受難の各場面の
レリーフがあります。
漆喰に埋めた
小石を研ぎだす技法で作られたものです。


最後の第15留には、
ご復活の場面が
かけられています。


神父様は、道行の最後に、
このレリーフと、
聖堂正面の
イエス様の復活の十字架を示され、
「私たちの十字架の道のりは
ご復活に向かっています。
行きましょう!
主の平和のうちに。」
と、宣言されました。





神に感謝!

Elizabeth♪
多摩教会で admin page top↑
恐れ、迷いは、あって当然
2015 / 03 / 09 ( Mon ) 22:54:25
2015年3月8日(日)の入門講座での
晴佐久神父様のお話から。






「恐れ、迷いは
あって当然。
それでも大丈夫ですよ。
と、お伝えしたい。
それが
当たり前。
スタンダードだと
お忘れなく。


“これじゃだめだ。”
“こうじゃいけない。”
という時。
自分の弱さに耐えられない時。
罪でないものを
罪と思う罪。
自分が悪いと思う心の傾きは
だれにでもある。


人は、だれでも、
幼いころから、
自分は、人から叱られてしまうような
欠けた存在だと
思わされている。


罪のもともとの語源は
“的外れ”。
芯からはずれること。
自分は
祝福されていない。と、
勝手に思うこと。
自分は愛されていて、
だいじょうぶな存在だということを
忘れないでください。


さらには、
もっと、人にこうしろ、と言ってしまうのが
罪の本丸。
とらわれていないで、
“そんなあなたで構わない”
と、伝えあいましょう。


どの一日も、
神様が愛して、
赦し続けて下さっています。」





神父様は、
先日対談された
谷川俊太郎さんの
詩を、
いくつも朗読して下さいました。


中学生の時、
谷川さんの詩集に出会い、
“言葉と向かい合うことに意味がある!”
と教えられ、
“自分の人生が祝福された”
と感じられたそうです。


「谷川さんの詩の言葉のような、
普遍的な
だれにでもひびく
開かれた言葉を
めざしています」
と、お話しされていました。



神に感謝!

Elizabeth♪


「入門講座」で admin page top↑
天使の羽根
2015 / 03 / 07 ( Sat ) 00:45:32


b-の空冬

写真: mari

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翼をください
2015 / 03 / 05 ( Thu ) 22:48:08
暗く、深いこの谷を
私がいつの日か渡るとき
あなたは、

私を私とわかるのかしら?


薄れゆく理性の中で、
空っぽになった心に
微かに残った
ヨクワカラナイ記憶に
わけもわからず涙をこぼし‥


そんな私に、
あなたは

優しく声を掛けてくれるのかしら?


世の人々に蔑まれ、
あなたの声を聴きたくて、
心の中で叫びながら
あなたを呼び続けた、
ろくでもない私に。


重い鎧ももぎ取られ、
喜びも、悲しみも霞んでく思い出。

あなたは私を許すのかしら?


いつか暗い淵を越えるとき、
魂一つであなたに会いに行こう

枯れ葉のような翼で、
ひら
ひらと。



あなたに聞きたいことは
いっぱいあるハズだったけど、
その時はたぶん
全部忘れちゃってる
だろうから、
私は感激しながら
これだけ言うと思う。

「ありがとお、
迎えに来てくれたのねえ。

ここにいてもいいのかしら?」


だって
ほんとうに
会いたかったんだもの。





かなぶん
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最後の砦は“秘跡”
2015 / 03 / 03 ( Tue ) 00:31:20
2015年3月1日入門講座での
晴佐久神父のお話から。





いくら神が救いの食卓を用意しても、
そこに入るための『鍵』がなければ入れない。
『秘跡』は、『鍵』。


『秘跡』の大切さを
強調しておきたい。
カトリック教会の中心は『秘跡』にある。
『秘跡』は
神の愛の目に見えるしるし。


もちろん一番大事なのは
『秘』。
目に見えない神の愛。
でも、『秘跡』という目に見えるしるし
も、同じように大事。
洗礼、ミサ、典礼、祈り、恵みの場、
これを通して
イエス様と一つに結ばれ、
ご聖体というイエス様を食べることで
神の愛を知る。


もし、これから、
神の愛を信じられなくなったら、
イエス・キリストを見よう!
イエス・キリストに聴こう!
イエス・キリストの手を握ろう!
イエス・キリストとつながろう!
これを想うべきです。
ミサでご聖体を頂いて、
神の愛を深く味わう。


ミサ自体を
恐れの気持ちから、
深く味わえなかったり、
軽んじてしまうようになったら、
いざという時に、
最後の砦は
『秘跡』だということを
思い出してほしい。


“これだけ握っていれば大丈夫!”
という思いで
ご聖体を渡しているんです。
イエス様の遺言なんです。
イエス様だって
弟子たちに
“これだけ握っていれば大丈夫だよ”
という遺言を遺した。
『愛』ですよね。



回心して、ご聖体を頂いていく中で、
食べ続けていくうちに、
“神様に愛されている私”
に目覚めていける。
だから、ミサから離れるな!
1枚1枚、ここに救いがあると信じて
ご聖体を受けてください。
『秘跡』が、信仰を守る。







ミサの秘められた力を感じます。
ご聖体によって、
私たちは必ず
よいものに変えられていく
と、信じます。



神に感謝!
Elizabeth♪

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サルベ・レジナ
2015 / 03 / 02 ( Mon ) 01:10:59
コルベ神父様が
アウシュビッツの強制収容所で
今際の際まで歌っていたのは、
「サルベ・レジナ」に違いない、
と、晴佐久神父様は
入門講座でよく
このラテン語の歌を
口ずさみます。

27日にも歌ってくださいました

日本語にすると、
以下のような意味に・・。

古くからの信者さんには
なじみ深い歌です。




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元后あわれみの母
~サルベ・レジナ(Salve Regina)

その1

「元后、あわれみの母、
われらのいのち、喜び、希望
旅路からあなたに叫ぶエバの子、
なげきながら、
泣きながらも
涙の谷にあなたを慕う。



われらのためにとりなすかた、
あわれみの目を
われらに注ぎ、
とうといあなたの子
イエズスを
旅路の果てに示してください。


おお、いつくしみ、恵みあふれる
喜びのおとめ
マリア。」

(「カトリック祈祷書 祈りの友 
~カルメル修道会編」より)




Luna
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信徒発見
2015 / 03 / 01 ( Sun ) 23:02:00
『信徒発見150周年』
2015年2月27日(金)の
晴佐久神父様のお話から。





3月17日は、
長崎の信徒発見150周年です。
約220年間7世代
禁教の下、
ミサが無いなかで
信仰を守った
日本の潜伏キリシタン。


その事実に
世界中が驚き、感動した。
宗教史上の奇蹟。


それは、
“教え”ではなく、
洗礼という
“秘跡”を守ったからできたこと。


洗礼は、七つの“秘跡”の入口です。
“秘跡”を守るのが教会の本質。
教会は、
“秘跡”のいれもの。
教会を見れば
イエスが見える。
イエスが見えれば神の愛が見える。


自分にくぎを打つ人たちをも愛したイエス。
イエスは完全なる神の愛のあらわれ
と信じるところから
キリスト教が始まる。


忍耐は必要です。
七代待てと言われたら、待ちましょう。
信じることはできる。
信じたことの実りを
私たちは知っている。
生涯、
“秘跡”のなかを生きていって下さい。


“叙階”の秘跡とは、
“秘跡を守る秘跡”。
このパンを守るんだ!
“エクス・オペレ・オペラート“(注)
どんな司祭が捧げるミサでも
ミサはミサ。
なぜならキリストが働いているから。
人間は不完全で当たり前。
不完全なものが
完全なものにむすばれるのが“秘跡”。


私は、
“秘跡”を守るために
司祭になりました。
なぜなら、
それば世界を救うから。





江戸時代、
洗礼をさずけつづけたキリシタンを
生んだ日本という国に
生まれたものとして、
大浦天主堂に
もう一度行ってみたい。
と、思わされました。



神に感謝!

Elizabeth♪



注)エクス・オペレ・オペラート(Ex opere operato)は、
「なされたわざから」
秘跡、サクラメントが有効になるとする教義。
事効説とも呼ばれる。

カトリック教会においては、
秘跡を行うのは、
典礼執行者ではなく、
象徴行為を行うよう命じた
キリスト自身である。

また秘跡はキリストの力の行使であり、
情けと慈しみの業である。
このゆえに秘跡は
執行者の状態に関わらず
効力がもたらされるとされる。

(ウィキペディアより)
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