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教会は、恐れない
2015 / 12 / 02 ( Wed ) 20:32:21
2015年11月27日(金)入門講座での
晴佐久神父様のお話から。






「キリスト教の本質に
“この世の苦しみは、神の国のはじまり”
というのがあります。


この世的には、一年の始まりには
“今年も平穏に過ごせますように”
と祈るけれど、それとは逆。
聖書は、本当に苦しんでいる人のために
書かれているから。
福音書が書かれた時代、
神殿がローマ帝国に破壊され、
迫害され絶望している人に向けて
書いている。


毎年、カトリックの新年の
待降節第1主日には
聖書の怖い箇所が読まれます。
ルカによる福音書21章23節から28節。
“これらのことが起こるのは、
解放のときが近いしるし。
いちじくの木やさまざまな木の葉が出てきたら、
夏が近いとわかる。
それぐらい、当然のこと、絶対のこととして、
悪いことが起き始めたら、解放のときが近い。
だから、試練の時に、身を起こして頭をあげろ。“
と書かれています。」





「私たちは、いろんなことにとらわれている。
一番は、
私は囚われていないという思いに
囚われている。
こんなもんかと
思い込んでしまっている。」



「今は、被害妄想の時代。
陰謀論が渦巻いている。
恐れさせ、怖がらせ、囚われの身となると、
自主規制を始め、自縄自縛となる。
自由に、自分らしく生きることができなくなる。


“恐れ”こそが
実は、悪の力の最終目的。
人は、恐れはじめると、
あとは自滅していく。
“あなたの恐れを取り除いてあげる”
というのが、キリスト教。
“恐れ”さえ取り除いたら、
神の国が到来する。


あるものを見ても、怖いと思う人もいれば、
興味を持って近づく人もいる。
太陽、月、星がどよめいても、
驚くにはあたらない。
解放の時、恵みのときが近いと知れ。
“恐れ”から解放された人が、
いちばん自由。
死も、自分の弱さも、他人をもおそれない。
この自分の存在そのものに、恐れがない。」



「この1年の始まりに、教会はよびかけます。
ふつうは、“穏やかなよい1年で”と祈るけれど、
教会は
“ たとえテロが起こっても、どんな病になったとしても
災害が起こったとしても、身を起して、
頭を上げて、
解放のときが来たという“希望”を
失わないようにしてください”と祈ります。」



「教会は、恐れない。
“信じる”ことで、“恐れ”を振り払っていく。
守って閉ざしているから
人は、その“恐れ”の苦しみに囚われている。
“恐れるな。どんなことがあっても恐れず、
扉を開け放て。“
と、聖ヨハネ・パウロ2世も言われました。」





ひさしぶりに,
神父様が、列聖式での歌
“心の扉をひらき 受けよキリストを
恐れず迎え入れよう 神の愛を いま“
を歌って下さいました。




神に感謝!


Elizabeth♪
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