聖書の言葉は、いつも、 新しい今日に語りかけています
2016 / 01 / 31 ( Sun ) 23:58:35
2016年1月22日(金)入門講座での
晴佐久神父のお話から①

寒い中、24人が集まり、
9時過ぎまでお話に聞き入りました。





「今週の福音書はルカ4章です。
『この聖書の言葉は、今日、
あなたがたが耳にしたとき、
実現した。』


これは、
ルカ福音書の中でイエス様が
人々に向かって福音を語った第1声。
最も重要な言葉のひとつです。


神様が、この世界をお造りになり
神様が、
この世界を導いておられるんだから、
自分の頭であれこれ心配せずに、
あまり、こう、過去のことを、
自分で勝手にいろいろと決めつけて
物語化せずに…。


神さまが、なにか、
とても、よいことを準備しているんだ
という信頼感を持って…、
だから、今、
これまでの素晴らしい神様のご計画の“実り”として
今日がある。


そして、今日のひとときは、
これからの、素晴らしい恵みの日々の準備に
なっているんだ!ということを
“今”の現実に感じとって
“感謝”し
“希望”を持つのが大事です。」


「聖書は、何度読んでも違います。
私は、50年以上聖書を読んでいますが、
いまだに発見があります。
それは
私の体験が変わってきているから。
聖書は、2000年間変わらないけれど、
昨日あんなにつらいときに読んだ聖書と、
今日、救われた喜びのなかで読む聖書は、
同じ個所でも、違う風に読めてくる。


聖書の言葉は
いつも
“新しい今日”に語りかけています。
“新しい今日”を創りだしていく。


常に、み言葉は、
私たちの“今日”に語りかけてきます。
聖書の言葉を、
今、語りかけている神のみ言葉として
受け止めることを
繰り返していきましょう。


み言葉の光に照らされて、
だんだん、自分が、創られていく
自分が、ちゃんと、
整えられていくことに
信頼して、
楽しみにして、
今日という日を
神様からの恵みの日として
受け止めます。」



②につづく…


Elizabeth♪
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晴佐久神父様の異動
2016 / 01 / 30 ( Sat ) 22:12:07
皆さんごぶさたしています。
かかりんです。


もう多くの方がご存知と思いますが、
晴佐久神父様は
今度の3月27日のごミサを最後に
多摩教会から、上野教会と浅草教会に
異動されることになりました。


覚悟はしていたのですが、
とうとうこの日が来てしまった、というのが
正直な気持ちです。


異動の報告を受けてから
入門講座も何度もあったのですが、
ちょっとしたウツ状態で、
原稿を書く気持ちに
なかなかなれずにいました。
すみません。


でも、そんな私の背中を
神様が支えてくださいました。






少し前に受洗された
Yさんという信者さんから
「多摩教会を離れるつもりだ」と
メールをいただきました。


文面から、去年の暮れの
聖劇の無記名のアンケートで
「多摩教会に
居場所を見つけられなかった」と
書いていて
キャスト皆から心配されていたのが
Yさんであることがわかりました。


ご自分の死を願うという内容に
とても心配したのですが
何通かメールのやり取りの末、
Yさんは死ぬのをやめたと
言ってくれました。


Yさんは、かかりんに
感謝の気持ちを書いた
メールをくれたのですが、
かかりんはお礼を言うのは
こちらのほうだ、と思っていました。


こんな私の、
こんなつたない口をつかって
神様がギリギリのところにいる人の心に
よりそう手助けができるなら。
ああ、晴佐久神父様が異動されても、
福音配達人に、
私もなれるのかもしれない、と
希望が見えたのです。


Yさん、ありがとう。
やっと立ち上がることができそうです。



そして少し明るい気持ちになって
車の運転をしていたら、
夫がCDを入れていた音楽の歌詞が
ふと耳に入ってきました。
「ボクがいてもボクがいなくても
キミはここで輝いて」


鳥肌が立ちました。


神様からのメッセージだと、思いました。


神様のメッセージは、
いつもキリスト者を通して伝えられる、って
いつも晴佐久神父様がおっしゃるけど、
今回はYさんと夫(彼もクリスチャンです)
から届きました。


そしたら、今日の入門講座のお茶の時間に
今度の春に受洗される大阪のSさんが
「いつも笑顔で迎えてくれてホッとします。」と
言ってくれて
泣きそうになってしまいました。





こんなに神様から守られて、
エールを送られてるのに
何をひよっていたんだろう。


大丈夫。
神父様が異動されてもきっと大丈夫。
神父様、これまで教わって来たことを糧に
ここでちゃんと福音を伝えていきます。


こんな私でも
神様がお使いになることがわかったから。


これからも、多摩教会で
新しい人をお迎えする入門係として
がんばっていこうと思います。



かかりん
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101回目の福音
2016 / 01 / 27 ( Wed ) 11:26:23
2016年1月15日(金)
入門講座での晴佐久神父のお話から③





「イエスさまは、
悪霊に『出ていけ』と言うけれど
その人に
出ていけとは言っていない。
その人を苦しめる
悪の力を憎んでいるのであって
その人を憎んでいるのではない。


神様は、全能。
神の前では、
悪とか罪とかも
大したものじゃない。


神にとって
大切なのは、
ご自分の愛に気づいてもらうこと。


罪とか悪も、役に立つことがある。
罪とか悪があるからこそ、
『決してあなたを裁かない神』
『あなたを愛する神』
という
本当の神に出会おうとする。


今までの
自分の過去を
良いものに変えていく
練習を続けていきましょう。


今まで
100回罪だと苦しんでいたのなら、
101回は
“神は決してあなたを裁かない”
“まことの親が
わが子を嫌うわけないだろう“
という福音を
聴いてほしい。


やがて、初めて、はたと
神が望んで私を生んだのであって、
私は神に愛されるために
生きているのであって、
この私がここにいることが
すでに神のよろこびなんだ
ということを
スコーンと
感じられるようになったとき
一番、自由になって
“この私は、いていいんだ”
“神様の喜びなんだ”
という
思いに変えられていく。

まだ80回くらいなんじゃ
ないですか?」



「真理は“神は愛だ”ということを
さし示しています。」


「1回福音を語ると、
10回福音を聴いた分くらい実りがある。
語らなくても、行為で、態度で、
今なお闇の中にいる
不安と恐れにとらわれている
裁きを怖れ、自分の罪を怖れ
絶望している
去年の自分と同じような人に
ひとこと福音を伝えましょう。」


「信じて何かをやったときに
実りがある。

恐れて何かを選択しても、
先延ばしにしているだけだから
何も変わらない。
守ろうと、閉ざそうと
逃げようと、蓋しようとしても
何も変わらない。

信じて、何かしたときに
“実り”がある。
“飛躍”がある。
想像もしない別世界がある。
ぜひ信仰をもって
チャレンジし続けていただきたい。」







せめて笑顔だけででも、
福音を伝えられますように。




神に感謝!
Elizabeth♪
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“神の裁き”はいい裁き
2016 / 01 / 26 ( Tue ) 23:18:15
2016年1月15日(日)
入門講座での晴佐久神父のお話から②





今年受洗される方からの
質問に答えて…。


「“信仰宣言”のなかの”裁き“
について、
“裁き”という言葉が
なんであるかによって
印象が変わります。


“愛”そのものである
イエスさまの裁きは、いい裁き。
たとえば、
冤罪の人が待ち望む
本当の正しい裁きのようなもの。


すでに我々は、
この世の“悪い裁き”に
とらわれている。


さまざまなとらわれに
すでに、裁かれている。


“すでにあなたたちは
自らを裁いてしまっている“
人間が、勝手に、裁いている。


“本当の裁き”というのは
神の尽きせぬ恩寵による愛の裁き。

すべての人にちゃんと及ぶんだ
だから希望があるんだ
それを信じていいんだ
という
まさに”よい知らせ“なんです。
”生者と死者を裁く“というのは
そういう神の恩寵なんです。
期待して
待っていていいですよ。


みなが、罪と言っていたことが
神の恩寵のなかでは
実は罪じゃないということが
わかります。


神がなさることなんだから、
悪いものであるはずがない
という信仰は非常に重要です。
だからこそ“御心のままに”
という祈りが出てくる。


人間側の目から
辛いことのような
恐ろしいことのような気が
しなくもないけれど、
これが
神様の御心であるならば、
必ずよいものであるという
大前提のもとに
物事を受けとめることが必要。」





「洗礼式の翌日に
神父が転任していくことも
神の御心で
きっとよいことに違いないと
いう信仰で受け止めて下さい。」







御言葉どおり、
この身になりますように“
と、いつも謙虚に
従うものになれますように。




神に感謝!
Elizabeth♪
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峠の茶屋の主人に
2016 / 01 / 26 ( Tue ) 10:48:02
2016年1月15日(日)
入門講座での晴佐久神父のお話から①

まず、上野・浅草教会への異動の
お話をされました。





「7年間、多摩教会で
目指してきたのは、“教会家族“。

私の中高生時代の将来の夢は
“峠の茶屋の主人”。
峠は、
多様なものがゆきかう場所。
流動的な情報が行き来する場所。
いろんな人が出会うサロンのようなものを
お世話するビジョンがありました。」



「キリストがめざしていたのは
血縁でなくても
家族のように支えあっていく状態が
どのようにしたら可能か。
今の時代チャレンジすべき分野。
この世界が平和になるため
避けては通れない問いです。

きれいごとじゃなく
チャレンジしていきたい。
まず、一歩やってみる。
夢見ることをあきらめたくない。」



「お金のことも
きれいごとじゃなく
本当の家族なら出し合える。
遠い未来のできごとでは
寂しすぎる。」



「『読書百篇、意おのずから通ず』
と言いますが、
『十字を切る』も
それくらい読んでくださいね。

私は、多摩教会の7年間で
語るべきことは、すべて、語った。
何度も、語った。
語り残したことは、何もない。

ちゃんと聴いてない人もいるけれど
やり残したことは
何もない。」





神に感謝♪
Elizabeth♪
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パパさまより
2016 / 01 / 21 ( Thu ) 10:34:15




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“神の恵み”は来ています
2016 / 01 / 20 ( Wed ) 18:05:52
2016年1月9日(土)③
入門講座新年会での晴佐久神父のお話から





「“秘跡”は神がさずけるもの。
向こうから来るもの。
それを
本当に愛として受け止めること。
洗礼式で、そのようなことが行われるということに
感謝、感動、希望を
持っていただきたい。


『おお、よしよしよし』と
神様が言って下さる。
なかなか、この世の人からは言ってもらえない
人生を歩んできた人が多いですから。
まさに洗礼式で
この世のどんな人から言われるよりも素晴らしい
『ああ、よしよし、いい子だ』と
言ってもらえることを
信じていただきたい。
楽しみにして
洗礼の秘跡を受けて下さい。」


「母親の愛は最初っから注がれているけれど、
ふれないと、声をかけないと、
笑顔で見守らないと
“愛”は伝わらない。
これを秘跡という。
この世界は“秘跡”でいっぱい
満ち満ちている。」


「自分は、実際に、神の愛を生きている
イエスが実際に生きている
という
リアリティを持って受け止めてください。」


「今週の主日のミサで読まれた箇所は
クリスマスで読まれます。
“愛するものよ。
すべてに人に
救いをもたらす神の恵みが現れました。“
(テトスの手紙2:11)

「素晴らしい宣言ですね。
“すべての人々に”ですよ。
100%っていうことです。いい子、悪い子関係なし。
“神の恵み”とは、イエスが現れたことです。
“神の恵み”は
常に来ているけれど、
目に見える形で現れることが大事でしょ。
手で触れるっていうことが大事でしょ。
その
手で触れる神様の指先が
イエス・キリストです。」


「イエスほど美しい“秘跡”はない。
これ以上のものがあるなら見せてみろと言いたい。
これを見たら、もう、完全に神さまの愛がわかる。
いい方法ですよね。
空から神が語りかけるのもいいけれど、
一人の人間が、
本当に、完全に、愛に生きて、
すべての弱い人を癒し、
すべての罪人をゆるし、
すべての神の子たちを受け入れる。
そのイエスを見たら
これが神かとわかる。」


「“神の恵み”は来ています。
神様が、“秘跡”の恵みによって
直接ふれてくださっているというこの喜びを支えにして
自分の人生の柱にして
安心してキリスト者になっていただきたい。
神様から抱かれている安心と確信から
離れないでくださいね。
毎週、ミサで
神にふれていただいて下さい。
洗礼式までの間、万難を排して
ミサの恵みにあずかっていただきたい。
一生一度の婚約期間です。
わくわくしながら
デートの期間を過ごして下さい。」





入門講座新年会には40人以上のお客様が集まり、
10人以上の洗礼志願者の方が
ご挨拶して下さいました。





神に感謝!
Elizabeth♪
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見えないドラマを感じる
2016 / 01 / 19 ( Tue ) 23:03:10
2016年1月9日(土)②
入門講座新年会での晴佐久神父のお話から






『あん』という映画のお話から

「どら焼きのあんになるあずき一粒が
北海道であずきが太陽の光をあびて、
風がそよぎ、雨が降り、実って
農家の人たちが刈り入れてここまで届いた
そのあずきの旅を想う
そのあずきの声を聴く
あずきをおもてなしするつもりで
あずきをあんにする。


あずき一粒の向こうに
見えないけれど、
確かに、ドラマがあることを
感じとって
それにふれることで
喜びを受け止め、
あずきと出会えたことに感謝し、
そのあずきが身を捨てて
わたしの喜びとなってくれる
その犠牲を
本当に尊いものとして受け止めることができたら
この世界との触れ方が、
全然、変わるわけですよね。


自分の気持ち、欲望、認識だけの世界から
満ち満ちている“神の愛”と
ふれあう世界に、開かれる。





こんなあずきの旅を想うように、
ご聖体をいただく時にも、
イエス様が
この私のために
私を愛して
私をすべてゆるして
わたしとともにありたくて
十字架上の犠牲を払い、
そして、今、
私を食べなさいという究極の愛のもとに
この私のなかにやってくる
そのイエスの旅路を想い、
さらには
イエスを生み出すまでの
神様の壮大な宇宙の歴史全部をも想い、
この私は、
愛されるために生きていて、
今、実際に、神様にふれている、
実際に、神様の愛のなかを生きている
ということを味わえたら
これは、もう
ただ食べるのとは、全然違う。

                       
ただ食べるだけなら
ご聖体は
数カロリーあるだけだけれど、
本当にイエス様がこの世界のなかを生きていて、
この私の心を満たして
そして今、私を生かしているんだ
という、その感覚を持たせるために
“ご聖体”という
“秘跡”がある。」







ご聖体をいただく時、
イエス様の愛と犠牲を想うと
その有難さに
胸が熱くなります。




神に感謝!
Elizabeth♪

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いいこと、いっぱい入れましょう
2016 / 01 / 18 ( Mon ) 00:25:20
2016年1月9日(土)
入門講座新年会での
晴佐久神父のお話から






「私の言うことは全部実現するんですよ。
(笑)
これが、大事。
未来のことはね
いいこと、いっぱい考えましょう。
いやなこといっぱいあるけれど
心に
いいこといっぱい入れてあげましょう。」



「身のまわり、5mか10mのことを
大切にしましょう。
まず大切なのは
自分の心が明るくあること。
自分の心が優しくあることが一番大切。
怖いことに、目をとめない。
イエス様は
“明日を思い悩むな”
と言いました。
明日、本当に素晴らしい日が
待っているんですから。

もっと、もっと、いっぱい
心にいいことを入れてあげて
悪いものを流して下さい。
100の嫌なものがあるなら
101のいいもの入れてください。

いいことを言い合って
明るい気持ちになりましょう。

みなさんの心の明るさが
この宇宙を
神の国に変えていくことができます。

今年の標語は
“一瞬の勇気で、一生の家族”。
福音の家族は“永遠の家族”。

神様の御手にあっては、
すべては永遠。消えることがない。
この一瞬が
全宇宙の歴史よりも尊く輝いている。

何かが終わっていくのではない。
まだ始まってもいない。
というのは、キリスト教独特の感覚です。

“からだの復活”の時
“ほーらね。”と、
私は、どや顔でいうことでしょう。」



「“からだ”は
神と交わる場所なんです。
みんなと触れ合う場所
自分を表現できる場所
世界と向かい合う場所
私という神秘で、世界にふれる。
つまり、神様を感じる。
私はこうだ、と表現できる場所。

今のからだは不自由。
“復活のからだ”は
この世の不自由から解放されて
他の人と、静かに、わくわくして
交わることができる。」



「2016年は、2015年よりも、
なにか神の国に近づいている。」





今年もいいこといっぱいを
わくわくして待ち望みましょう!



神に感謝!
Elizabeth♪
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神のいつくしみ
2016 / 01 / 17 ( Sun ) 21:23:15
・・・
神のいつくしみは
すべての人間の限界を超え、
罪の闇に輝くのです。

・・・

いつくしみの特別聖年を祝うことは、
キリスト教信仰の本質、
すなわちいつくしみ深い神である
イエス・キリストを、
わたしたち個人と共同体の
生活の中心に
あらためて据えることです。


 したがって、この聖年は
いつくしみを生きるためにあります。


そうです。兄弟姉妹の皆さん、
この聖年が与えられたのは、
わたしたちが自分の生活の中で、
神のゆるしの
優しく穏やかな感触を感じ、
とりわけそれを
もっとも必要としているときに、
神がすぐそばにおられることを
感じられるようになるためなのです。






別の言い方をすれば、この聖年は、
「神がもっとも喜ばれること」だけを
教会が選ぶすべを学ぶ、
特別な時でもあります。


「神がもっとも喜ばれること」とは
何でしょうか。


神がご自分の子どもたちをゆるし、
あわれんでくださるので、
その子どもたちもまた、
自らの兄弟姉妹をゆるし、
この世における
神のいつくしみのともしびとして
輝くことができます。
これこそが、
神がもっとも喜ばれることです。・・・


・・・神の喜びはゆるすことです。

神の本質はいつくしみです。・・・


いつくしみ深い教会だけが輝きます。・・・


 「迷子になったわたしたちを
探すために来られた
善い羊飼いであるイエスによって
見いだされた喜びを、
自らの中に強く感じること」
(神のいつくしみの主日前晩ミサ説教、
2015年4月11日)。
これこそが、
教会がこの聖年を制定した目的です・・・

・・・

兄弟姉妹の皆さん。
わたしはこの聖年の間、
わたしたち一人ひとりが
「神がもっともお喜びになること」を
あかしするために、
神のいつくしみを受けられるよう
望みます。・・・



教皇フランシスコ



教皇フランシスコの
2015年12月9日の一般謁見演説から
少しだけ、抜粋させていただきました。
今回はそんなに長くないので、
是非全文をお読みくださいね。

全文はこちら→なぜ、いつくしみの特別聖年を行うのか





「主よ、わたしは罪人です。
あなたのいつくしみをもって、
わたしのもとに来てください」。

パパ様のおっしゃる通りに
祈りたいと思います。

”イエス・キリストを中心に据え”、
神のいつくしみにだけ寄って立つ
ことが出来るよう、
私たちに恵みをお与えください。


「いつくしみ深い教会だけが輝く」
のですから・・・



Luna
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闇があるのは、光を輝かせるため
2016 / 01 / 16 ( Sat ) 23:07:51
2016年1月8日(金)入門講座での
晴佐久神父のお話から③






「今朝の週日のミサは
ルカ伝5章12~16節。
重い皮膚病を患った人に
イエスが手を伸ばして触れたとき
周りの人はびっくりしたと思う。

当時、
重い皮膚病を患った人は、
三重苦だった。
身体の苦しみ、
社会からの疎外、
神からも見捨てられた
と思われていた。

そんななかで、
神が、近づいてきて、
触れてくださった。」





「“すべての人々に救いをもたらす
“神の恵み”が現れました“
(テトス2章11節)
これは、
クリスマスに読まれる箇所です。

キリストの教会が、
“神の恵み”。
“神の恵み”が現れた。
それは、不可逆。
そのことに気づかせるのは
すごく大事なこと。

“開かない扉は、無意味。”
教会が閉じこもっていては
意味がない。

神は、ご自分の憐みによって、
洗礼を授けられます。
洗礼にふさわしい人は、
一人もいない。
こんな私を…と思っている私を、
神は、救う。」





「過去に起こったことなんかは、
自分で物語っているところがある。
洗礼を受けて、
その人生の第1章に、
違う意味が与えられる。

その人のステージがあがると、
全く新しい、第2章が始まる。
そういう気づき、目覚めに
出会うためだったら、
どんな代価を払っても
おかしくないでしょう。

イエス様は、たとえ話で、
天の国を語っています。
(マタイ13章46節)
『商人がよい真珠を探している。
高価な真珠を一つ見つけると、
出かけていって
持ち物をすっかり売り払い、
それを買う』

洗礼を受け、真実にふれるなら、
どんなに大変だったことも
よかったね!と、
なるのが、キリスト教。
神様の愛にふれる、という
最高のものを手に入れたんだから。」





「貧しい人たちに寄り添うのは、
その苦しみは、喜びに変わる
天上の喜びに変わる
という信仰に支えられているから。
一番貧しいところに、
一番恵みがあるという信仰です。

この、負けなし感は、うれしい。
絶望しかない時にも、希望がある。

アウシュビッツの片隅で、
コルベ神父は、
身代わりになり、人を救い、
餓死刑をうけた牢の中でも、
聖母マリア賛歌を歌っていた。

この瞬間のために、世界がある。

人間は、神の愛を見て、
神の愛を表すことができる。
この世に闇があるのは、
まさに、その光をかがやかせるため。」







ピエタ像のマリア様のように、
いつもおだやかにいられますように。




神に感謝!Elizabeth♪
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あなたは私の愛する子。私の心に適う者
2016 / 01 / 14 ( Thu ) 22:32:28
2016年1月8日(金)入門講座での
晴佐久神父のお話から②

今週の主日は、主の洗礼。





「ルカによる福音書3章15節から16節は、
美しい描写です。
神が、直接、言葉をかけてくれた。

神は、小豆一粒にも、その姿を示します。
でも、神様は、
決定的にすべての人を救うために、
イエス・キリストによって、
私たちにふれて下さった。

『お前を愛しているよ』と。

『あなたは私の愛する子。
わたしの心に適う者』というのは、
『かわいいね、かわいいね。
いい子だね、いい子だね。』
というようなもの。

すべての存在にむけて、神が、言っている。」



「イエス・キリストは、神であり、人である、
“接点”。
だから
私たちも、イエスにつながれば、
神とつながれる。
イエスにふれれば、神にふれる。
イエスの言葉を聴くということは、
神の言葉を聴くこと。


“洗礼”は、
神に受け入れられている、愛されている
という事実を受け入れて、
そこから出発すること。
キリストにおいて一旦死に、
聖なる霊に満たされるのが、“洗礼”。


本当は、いつも、天は開いているのだけれど、
皆が気づかないので
また、どのみち人間の決心なんて、
たいしたものではないので
“洗礼”という儀式に支えられて、
目覚めていく。」



「すべての存在は、神様のところで、
真の親に出会うようにできている。」



「自分の意志で神と結ばれる洗礼も幸いだが、
障害などで自分の言葉で語れない者、
意識を持たない人も
神様からの恵みによって救われる。」



「たとえ、死産になったとしても
その数か月は、神様からの恵みの日々。
天国での成長もあるんですよ。
神様という究極の存在は、何でもおできになる。
ひととき、
両親に喜びを与え、
わが身を捧げて神のみもとに召されていく。
十字架に見えるけれども、
復活している。

ほんの数か月でも、
お母さんの声を聴き、愛を感じ、
何より、人を喜ばせた。
希望の、“目に見えるしるし”であった。

“神が望んで”生んで、
“神が望んで”召すのだから、
私たちは、神様に、信頼を捧げます。
この最悪の状況を、
神は救うことがおできになる。
この最悪に思える十字架に、
神様がふれて下さることから
神のクリエイトが始まる。

ヴァチカンにあるミケランジェロのピエタ像
聖母は、
おだやかなお顔です。
十字架で、終わったんじゃない。
キリストは、勝ち戦しかしていない。

“私はすでに世に勝っている”(ヨハネ伝16章33節)

あらゆる悪を含めたこの世の現実も、
神の恵み。
神の国が完成するまで
、悪はなくならないが、あきらめることもない。
なぜなら、神は、すでに、
私たちを愛してくれている。


その子も、死んだんじゃありません。
神様の世界に生まれたんです。
この世で抱きしめる以上の
天での一致が待っているのだから、

一日一日楽しみにやっていきましょう。
と励ますことは、私たちにもできる。
なぜなら、私たちは、キリストとひとつだから。」



③につづく…


Elizabeth
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見えない本質を見る
2016 / 01 / 14 ( Thu ) 00:23:18
2016年1月8日(金)入門講座での
晴佐久神父のお話から①


始めに、『あん』という映画のお話をされました。





「キリスト教は、魂の世界での交わり
魂のふれあいを大事にします。
本当にものを見る目を養う教育が、
大切だと感じます。
“見えない本質”を見ること。


隔離され、排除されていると、
太陽の光にも、
神様の栄光を見る目が備わる。

木々にも、風のそよぎにも、
素晴らしいものが隠されている。
それを
見る目、聴く耳を持つことが大切。

苦しんだ人こそ、
そういう、ものごとの奥を見る目が、
養われる。」





「苦しみの向こうに、
神様の世界の真実を知るのがキリスト教。
苦しみを通して、真実を知る。

苦しみをしらずに、真実を知らずにいていいのか?
真実を見る目は、
さまざまな試練、困難を通して与えられ、
聖霊の働きを見る目、聴く耳が、与えられる。

見えない世界を見る。神の声を聴く。」


「入門講座は、新しいことを勉強するのではなく、
閉ざされている目を、耳を、開いて
秘められている向こう側を見る目を養うところ。

私なんかふさわしくないんじゃないか
と思う人こそ、ふさわしい。」





「あんを作るとき、
小豆一粒の向こうに、
芽を出し、花をつけ、実り、収穫され…
という旅があって、
命があって、魂があるということを、感じること。

この世界に生まれてきた意味は、
ただ美味しいもの食べて、楽しむためではない。
出会った小豆一粒とも、本当に知りあうため。

その思いを知り、その命を知り、
その向こうにある生命の本質に、
神に出会うために、
この世界はある。」





「“見る目”が大事。“聴く耳”が大事。
キリスト教は、神と出会う宗教です。
神が、出会わせている、つながりの宗教。」


「“秘跡”は、隠れている神、
目に見えない、深遠なる神とつながる瞬間。

究極の“秘跡”は、イエス・キリスト。
一人の人間でありながら、
神の愛、神のみわざ、神のすべてを表している。

イエス・キリストと出会ったものは、
神と出会った。
キリスト教は、リアルに、神とふれる宗教です。」




②につづく・・・



Elizabeth
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2016年 入門講座新年会
2016 / 01 / 10 ( Sun ) 21:18:22
みなさま、新年明けましておめでとうございます。
かかりんです。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。





1月8日の金曜日から
入門講座が新学期を迎え、
9日の土曜日には
金土日の入門三講座合同の
新年会が行われました。


入門係は9時に集合して、
おのおの持ち寄ったお料理を盛りつけたり、
お鍋であたためたり、
カレーを作ったり、
オーブンで焼いたり。


10時半スタートでしたが
今年は50名を超えるお客様がいらしてくださって、
スタッフも合わせると70名以上!!
信徒館は超満員!!


神父様の福音シャワーを1時間ほどあびて、
テーブルを移動して、パーティーの始まり!!
パーティーのものすごいごちそうは
今年は入門係による一品持ち寄りでした。
かかりんは鶏手羽元と卵と大根の煮物、
柚子大根を持参しました。


他にも紅茶豚、タイカレー、
肉まん(皮まで手作り!!)
グラタン、タンドリーチキン、玉子焼き、
りんごと白菜のサラダ、
チコさん秘伝のハルサメサラダ、
チーズケーキ、パウンドケーキ、水まんじゅう、
ブラウニー、ゼリー、海苔巻き、おいなりさん、
・・・今、思い出せるのはこれくらいですが
もっとあったと思います。
テーブルの上はごちそうでいっぱい!!





にぎやかにおしゃべりしながら
お腹もふくれた頃に、
レミゼくん、アレキサンダーさん、○子さんによる
きらきら星トリオ
のヴァイオリン演奏「きらきら星」。


続きまして、「ぶどう」こと、ワタクシかかりんと、
今年受洗予定の「みかんちゃん」による
フルートデュオ、「ふるー2(フルーツ)」
(・・・ただのだじゃれです、すみません。)の
「あめのきさき」の演奏と、
参加された皆様の合唱。
皆さまが大きな声で歌ってくださるので
かかりんも緊張せず楽しく
フルートを吹くことができました。


演奏終了後、神父様から、まさかの
「5人で何か合奏するってのはないの?!」
とのムチャブリ・・・
いやいや、お言葉に、
一瞬5人でかたまりましたが、
そこは瞬発力で、五人の「きらきら星」の合奏で
出し物は幕を閉じました。
神父様は「感動した!!」と
笑っておっしゃいました。笑


その後、解散だったのですが、
お帰りになる時、ある洗礼志願者の方が
「この教会で心もおなかも満たされます。」と
ニコニコ笑顔でおっしゃいました。
「ここは、とても良い『気』が流れています。」とも。


そういえば、金曜の講座の後で
別の洗礼志願者の方から、
「この教会には天使がいますね。」と
言っていただきました。


良い『気』が流れていて
天使がいて、来ればおなか一杯で
笑顔になれる多摩教会!!
すごくないですか?





教会家族のいる、あたたかいHOMEで、
今年も笑顔であなたを、お待ちしています。




かかりん 
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入門講座新年会
2016 / 01 / 04 ( Mon ) 12:00:00
2016入門新年会-blog


あけまして おめでとうございます。

カトリック多摩教会入門講座、
本年もどうぞよろしくお願いいたします!





・・・ということで、早速、1月9日(土)に
入門講座新年会を開きます。


10時30分より晴佐久神父様のお話。
11時30分くらいから、パーティー、の予定です。


普段、顔を合わせることの少ない
金、土、日講座、それぞれの参加者が
一堂に会して、交流の輪を広げるのが
主な目的ですが、

もちろん、初めての方も大歓迎!

どなたでも、ご遠慮なく、お越しください。


入門係手作りの料理で
心からのおもてなしをさせていただきます。
(一品持ち寄りのため、メニューは当日まで??
お楽しみに~

なにやら、楽しい出し物の企画もあるらしいですよ





2016年、みなさまの上に神さまの祝福が
豊かにありますように!!



Luna

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