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キリストを担う者
2016 / 02 / 17 ( Wed ) 23:30:37
2016年2月12日(金)入門講座での
晴佐久神父のお話から ②






私たちは
洗礼を受けたその日から
”クリストフォロ“
というもう一つの名、
洗礼名を与えられています。
幼子イエスを背負って
河を渡ったという伝説の聖人。


洗礼を受けた者は
すべて〝クリストフォロ”である。


あらゆるキリスト者は
キリストを担って
キリストを連れて行く者。


だれと出会っても
キリストと出会ったことになる。


〝人の思い″をはるかに超えた
〝神の思い″を生きる者。


キリスト者は
すべての人の目を開かせる。


私は
〝いただいたもので、十分″
という思いで
生きています。


身体も弱いけれど、
これを、どう生かすのか。
人の思いをはるかに超えた
神の思いを武器に
生きていく。
〝神様の思い″は、どこにあるのか
を、知る体験は
すごく大事です。


自分がこうしようとして
うまくいかない時、
なるほど
〝神様の思い″の方が上だ
と、知る体験を
積み重ねる。


どこかで
〝神様の思い″にシフトする瞬間が、
必要です。


『人はパンだけで生きるのではない。
神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。』(マタイ4:4)
というように、
パンなしでは生きていけないが、
人の思いだけで生きているわけではない。


パンで生きている自分が、
それ以上のものに
変えられる時。
より大きな喜びへと。


自分がなにかを
手放さなければならない時、
私たちが、弱いときにこそ
〝人の思い″を超えた
〝神の思い″がある。


〝回心″とは
人の思いをはるかに超えた
〝神の思い″に重きを置くこと。
49対51でもいい。



③につづく・・・



Elizabeth♪
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人の思いをはるかに超える神の愛
2016 / 02 / 17 ( Wed ) 12:10:07
2016年2月12日(金)入門講座での
晴佐久神父のお話から①






〝殉教者の叙唱″に
ぐっときます。

『弱い者の中に
あなたの偉大な力が示され
十字架の道を行く者の中に
人の思いをはるかに超える
貴方の愛が輝き出ます。』


人の思いなんて
いいかげんなもの。
ベクトルは、皆一緒。
どこかで、
神様が
自分の都合のいいように
してくれることを
望んでいる。


けれど、
〝人の思い″を超える
〝神様の思い″が
たしかに
ある。


〝人の思い″だけでは
貧富の差が拡大する人間達。
その中に、
神様の恵みである
イエス・キリストが投げ込まれた。


自分が神であるかのように
思うことは
蓄財や権力への執着に
表れることが多い。



50年前の第2バチカン公会議では
みなが神様の愛に
目覚めていくことを伝えに行く、
〝福音化″ということと、
主の食卓を一緒に囲む
仲間に招き入れること、の2つが
強調されました。


〝洗礼″を受けるっていうのは、
ある意味、
殉教覚悟で生きていこうよ
ということ。


みな
十字架は、いやだ、と言う。
〝人の思い″でいると、
いやだ、と言う。


けれど
〝救いの喜び″を知ったんだから
喜んで
十字架を背負います。
と、言うこと。


試練なんて、いくらでも来る。
あえて言えば、
これこそが、御国を知る道。


〝弱さ“を、
恐れずに、引受けることです。


②に続く…




Elizabeth♪
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