[○][○][○]のかほり
2016 / 09 / 29 ( Thu ) 19:53:53
金木犀 陽だまりの坂♪

懐かしき昨年聖劇の主題歌
「みんなの家」の2番
始まりでございます






ほのかにかぐわしい
金木犀のかほり
ほんの数日の
この短い一瞬にある幸せを
大切に
この歌詞を大事に
ココにいたいな~と
思うのでありました。


つづきはこんなん↓


♪引き寄せられるように
門をくぐれば
木のベンチ 光る十字架
笑顔が迎えてくれる

ありがとう 声かけてくれて
心ほどけてほっとした
ひとり旅はもう終わりにしよう♪




[○]子
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シニアのつどいと病者の塗油
2016 / 09 / 28 ( Wed ) 21:52:39
2016年9月25日(日)の
シニアのつどいのミサは、
侍者も先唱も朗唱も朗読も
75歳以上のシニアのメンバー。
昔のオルガンも登場しました。





ミサ後の
豊島神父様のお話から…。



「“病者の塗油”で、
額に十字に油を塗るのは
聖書に記述に由来しますが、
そのあとに
左手と右手に油を塗り
すぐにその両手を合わせるのは
なんのためでしょう?


最初に赴任した小金井教会の
主任司祭から
隣接する桜町病院のホスピスに
初めて病者の塗油に
行ったとき教えられました。


両手を合わせて
塗られた油を温めることで、
神様からの
温かいぬくもりを
自分自身のなかに、しみ渡らせる
という意味があるのです。」


「病者の塗油は
重篤な病の方の方が
その効果が分ります。
重篤かどうかは
ご自身で判断なさって
くださいね。」
と、お話されました。







ミサ後には
教会学校の子どもたちから
シニアの方々に
歌と花をプレゼントした後、
シニア代表のDさんがご挨拶。
最後に
『十字を切る』を
混声四部合唱で贈りました。
入門係からも
Luna、かかりん
Elizabeth
ほか数名が
参加しました。


写真撮影の後、
シニアの希望の方に
病者の塗油が行われ、
この日は軽食サービスはお休みで
信徒会館の1階と2階すべてで
シニアの方々の会食が
行われました。


多摩ニュータウンに
各地から引っ越して来て、
マンション教会を立ち上げ、
今の聖堂を献堂し、
数々の苦難を乗り越えて来られた
シニアの方々のおかげで
今の多摩教会の
美しい聖堂が与えられています。
多摩教会があったから
救いに導かれた人が
どれほどいることか!




神に感謝!
Elizabeth♪
多摩教会で admin page top↑
神様、助けて下さい!
2016 / 09 / 25 ( Sun ) 22:31:03
2016年9月23日(金)入門講座では
豊島神父様は
“主の祈り”について
お話されました。





“助けて下さい!“

神様に
お祈りした方がいいですよ


弟子のペトロが
海の上を歩こうとして
溺れそうになった時
“助けて下さい!”と言って
救い上げてもらったように。


神様の前で
いつも
きちんとしていようと
するのでなく、
神様に
何でもぶつけていいんです。


ヨナ書やヨブ記にあるように
神様は
ちゃんと、応えて下さる。


神父に言うより
神様に
“こんなことあったんです!”

言った方がいいですよ。
神様に
怒ったって、いいんです。  


神様と
ティータイムを楽しむように、
神様と話しているように、
神に祈る。

神は、
今、必要なものを、恵みを
与えて下さる。

“罪”とは、
神とわかれること。

神は、
あったかい心へと
導いて下さいます。





“助けて下さいと言って、
怒られるのは、いやだな~“
と言ったら、神父様は
“怒られても、
滅ぼされるよりいいでしょう?
怒られても、
どつぼから
引き上げてもらう方がいい“
と、言われました。

平和そのもののような
豊島神父様の笑顔を思い出すと
心の中に
“主の平和”が灯る気がします。


”神様、もうヤダ!
やってられません~!”と、
神様に
正直に、弱音を吐いてみようかな
と、思いました。



神に感謝!
Elizabeth♪

「入門講座」で admin page top↑
兄弟に何か忠告したいときには
2016 / 09 / 25 ( Sun ) 00:18:38
兄弟に何か忠告したい
ときには、
着物のほころびを、
丁寧に、やさしく繕う
おばあさんのように
しなければいけません。



目の前に掛けている
「教皇フランシスコ」カレンダー
2016年9月 

ふと見上げると、
この言葉が目に留まりました…


ガーン!😨でした。。。


繕い物なんて、
最近することないから・・・
なんて言い訳は
通じませんよね~(汗)



Luna 
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つながる
2016 / 09 / 23 ( Fri ) 21:44:40
ひよこ組


晴佐久神父様は
「洗礼」 はマジックではないから、
何も変わりません…
でも、ふと振り返った時に
あっ…  と気付く 
と言われていました


本当にそのとおりでした


「つながり」 ができたのです
いいえ、本当はず~っと
神様は一緒にいて下さった
つながって下さっていた 
ことに気づきました





豊島神父様は入門講座(9/16)で
洗礼やご聖体(秘跡)は、
神様が触れて下さっていることの
しるしを授かっているということ
聖霊は神と人をつなぎ、
人と人をつなぐもの


命の充実感は
どこから得られるか
それは「つながる」ということ
バラバラの人が、
神を思う時につながり
共にいることで喜びをえられ、
つながっている安心の中で
生きていくことができるのです 
とお話ししてくださいました。


神様との つながり に気付き
多摩教会につながり
教会家族の笑顔に出会い…。


マザー・テレサの列聖式で
一つの大きな祈りの輪につながり


つながるために必要なのは
約束 ではなく
所属 でもなく
笑顔 だけで大丈夫…
そう感じました





あなたの目の前にいる人に、
微笑みかけなさい
すべてはそこから始まるのです

           マザー・テレサ




コスモス
「入門講座」で admin page top↑
つながっていきましょう
2016 / 09 / 22 ( Thu ) 23:57:07
9月16日入門講座の
豊島神父様のお話より





カトリック教会は
聖書だけでなく、
聖伝(注)も
教会の正式な教えとして
大切にしています。


ということで、
カトリックの教えの本を
分厚いのから、
薄いのまで、3冊くらい(?)
(いい加減でごめんなさい
紹介をしてくださったあと、
いよいよ、
新約聖書に入りました





まずは、
マタイによる福音書4章1ー11.
この個所は通常、
四旬節第一主日
志願式のある日のミサで
読まれます。


イエス様が荒れ野に導かれ、
40日間断食したあとに、
悪魔から誘惑されるお話です。


「人はパンだけで生きるのではない。
神から出る
一つひとつの言葉で生きる。」

「あなたの神である主を
試してはならない。」

「あなたの神である主を拝み、
ただ主に仕えよ。」

こう言って、
イエス様は悪魔の誘惑に
打ち勝ちます。


ところで、
豊島神父様も
おっしゃっていましたが、
この個所で、
なんといっても気になる言葉は
悪霊(悪魔)です。

気になりますよね~。

悪霊って、ほんとうに、いるの?
い・る・らしいです・・・(汗)

で、悪霊って、何?

神父様によれば、
神学生時代。
神学校の図書館の本棚には,
悪霊に関する本が
い~っぱい
並んであったけど、
でも、みんな
ほこりをかぶっていて、
誰も読んでない!
のは明らかだった。(笑)


・・・で、悪霊のことを説明するには
まず、その反対の
聖霊のことを説明しましょう。
ということで・・・


(聖とは神、完全、を表す言葉。
霊はギリシャ語でプネウマ、
ヘブライ語でルアッハ、
風、息の意味で
日本でいう幽霊の霊とは違います、
ということです。)

聖霊は ①神と人をつなぐ
       ②人と人をつなぐ

従って、反対の
悪霊は ①神と人を離す
      ②人と人を分裂させるもの


神と人がつながり、
人と人がつながっていく。
つながって、分かり合えて、
共にいるという安心。
イエスの言葉の先には
つながっていく
命のすばらしさがあります。。


ところが、せっかく
つながっていこうとしていたのに、
壊そうとする力が
日々働いている。
それが悪霊の働き。


悪霊は分裂、
神様の愛の世界から引き離す力。


(この世の)命が一番大事、
という誘惑。


ただ安全で、
物がそろっているだけだったら
幸せという誘惑。


そこに、本当の喜びや楽しさはない。
命の充実感はない。


人間がバラバラの
孤立した命を生きるのではなく、
つながりの中で
生きていくとき、
命の輝き、感動があります。


人間としての喜びの命は
神様とのつながりの中にこそ
あるのです。。


つながっていきましょう。
つながったら
命はこんなに素晴らしい、
たくさんの
幸せと感動があります。


私たちは、神のほうに、
聖霊のほうに、
招かれていることを
イエス様は
体を張って示したのです!!






「わたしにつながっていなさい。
わたしも
あなたがたにつながっている。」
(ヨハネによる福音書15・4)
というみ言葉が
心に浮かびます。


・・・イエス様のほうは
つないだ手を
決して、離さない!
・・・。
永遠に離さない・・・。

感謝!!です。



Luna




注)カトリック教会の教説(教え)は「聖書と聖伝」という言葉であらわされるように、旧約聖書、新約聖書およびイエス・キリストと使徒の教えに由来し、教父たちによって研鑽され、多くの議論を経て公会議などによって確立されてきたものである。使徒信条およびニケア・コンスタンティノープル信条を信条としている[3]。特に宗教改革以降、トリエント公会議においてカトリック教会の教義が整理され、再確認された。さらに現代では第2バチカン公会議でも現代に生きる教会として教義の意味を見直した。(ウィキペディア「カトリック教会」より)

ちょうど、Elizabethさんが第2バチカン公会議の内容を紹介してくださいましたね♪


「入門講座」で admin page top↑
パパさまより
2016 / 09 / 21 ( Wed ) 23:22:28





未分類 admin page top↑
典礼は、教会の活動の頂点であり源泉
2016 / 09 / 20 ( Tue ) 00:05:27
2016年8月26日(金)(5/5)典
信仰養成講座での
市瀬神父のお話から。





「“典礼”は
キリストが、語る。
いのちの言葉を、語る。


キリストが
自分自身を与える。
キリストの死と復活にあずかるのが
“典礼”の意味。


第2バチカン公会議までは、
いつのまにか
形式を重んじるようになっていたが
“典礼”は、本来、
“いのちに至ること”
“愛に生きること”
“イエスの言葉を実行すること”。



ただ1度の
イエス様の死と復活の出来事により
私たちは
罪から解放されて
神と一致し
自由に、
神とともに生きる。


すべての人を救った
十字架と復活を
「ことば」と「しるし」によって
再現するのが
ミサ。


“典礼”の中心は
キリストの死と復活。
ミサで
今、ここで、繰り返される。


そこから、恵みをいただく。
信仰を、育てていただく。


“典礼”は、
教会の活動の
すべてではないが、
源であり、核。
教会の活動がめざす
頂点であり、
源泉。」





私たちのために
十字架にかかり
復活されたキリストの愛を記念する
ミサが、毎週
与えられていることに
感謝です。



Elizabeth♪
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私たちを解放し、豊かにする典礼
2016 / 09 / 19 ( Mon ) 23:57:41
2016年8月26日(金)(4/5)
信仰養成講座での
市瀬神父のお話より。






「第2バチカン公会議の
ひとつの大きなテーマは、
『典礼における信徒の役割』。
『“意識的”
かつ“行動的”に
典礼に参加する』
というのが大事なモチーフです。


“典礼”の担い手は誰か
といえば、
“キリスト”。
典礼で、
目に見えるのは、信者だけれど
単なる人間の集まりではない。
典礼は、
復活のキリストとともに
天使、聖人とも
世界の苦しみ喜びにも
つながっている。


たとえ
2~3人で山でミサをあげる時でも
壮大な祭儀が行われ、
天上の典礼を
前もって、味わっている。


毎日、毎週の“典礼”の中で
私たちは、実は、大切なことを
たくさん聴いて、
たくさん発している。


恵みの神秘に、
心をこめて参加するためには
ある程度、
“典礼”を理解しないと。


神秘を、
すべて理解することは
できないけれど、
“典礼”で
大事なことが行われていると
理解することはできる。


ミサで
身を持って、体験する。


“典礼”は、
キリストを仲介者として
神と人が出会い、
人と人とが出会い、
自分と出会う。
それが実現できるように
“典礼”の
式次第は整えられている。


“典礼”は、祝祭。
お祝いです。
本当の意味の祭儀は
私たちを
解放し、豊かにするもの。


本来は、“典礼”が終われば
晴ればれとして出ていくのが、
本当。


祭儀であるミサは
人間の実在に対応している。
人のあこがれ、望みに
対応するようになっている。
自分自身をとりもどし
新しい世界が見えて、
元気になるようになっています。」





毎週、ミサで
新しくされますように。




神に感謝!
Elizabeth♪
未分類 admin page top↑
ふさわしくない日常だとしても
2016 / 09 / 19 ( Mon ) 23:51:34
2016年8月26日(金)(3/5)
信仰養成講座での
市瀬神父のお話から。





「『入祭の歌』は
司祭の行列を飾るもの。
守り、助け、支え、
励ますイメージ。
司祭と会衆が一体として
ミサを捧げることを表している。


はじまりを
おろそかにしてはいけない。
たとえ
ふさわしくない日常を
生きていたとしても
『開祭』で準備をする。
ミサは
深呼吸していい場。
身体と心を整える場。


私たちは
『言葉』によって
生きるように造られている。
神の言葉によって
養われる。
キリストの言葉によって
造り変えられる。」





『実に、信仰は聞くことにより、
しかも、キリストの言葉を
聞くことによって始まるのです。』
(ロマ書10:17)
『開祭』で
ふさわしくない日常から
ミサへと準備することの
大切さがわかりました。
遅れないようにしなければ…



神に感謝!
Elizabeth♪
未分類 admin page top↑
キリスト者はキリストのように
2016 / 09 / 19 ( Mon ) 00:30:31
2016年8月26日(金)(2/5)
信仰養成講座での
市瀬神父(神言修道会)のお話から。





「第2バチカン公会議は
いろいろな意味で、画期的だった。


①『刷新のために召集された』
(それまでの公会議は
問題に対処するため召集された。)


②『16におよぶ文書が長文で司牧的』
それまでと違い
命令・禁止ではなくて
母が、子に話すように、
やわらかい司牧的な文章。
(それまでは短く法律的だった。)


③『教会は、“奉仕するためのもの”
であることを強調した。』


④『教会外の、世界中の人に語りかけた。』
公会議は、
他宗教からもオブザーバーを招集した。」


******


「イエスの言葉が
“あるべき教会の姿”を示している。


『わたしの記念としてこれを行いなさい。』
(ルカ22:19)
『あなたたちは行って
世界中に、福音をのべ伝えなさい』
(ルカ10:15)

この御言葉が表す
“祈る教会”と“宣教する教会”。
このふたつは、表裏一体。


信徒は、
教会生活の最前列に立っている」


“全キリスト者は
キリストのように生きるよう
召されている“
(教会憲章10条)


「信徒は
社会の真っ只中で、福音の精神を生き
『世の光』『地の塩』として
生きるパン種。」


どうか、少しでも、
イエス様に倣って
生きられますように!







神に感謝!
Elizabeth♪
④につづく‥
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公会議がめざすもの
2016 / 09 / 18 ( Sun ) 23:54:51
2016年8月26日(金)(1/5)
信仰養成講座での
市瀬神父(神言修道会)のお話
から。





第2バチカン公会議の公文書
『典礼憲章』の序文では、
公会議の意図が4つ記されています。


第1は
『キリスト教的生活を信者のうちに
日ごとに成長させること』
それまでの教会は
この世にありながら、この世に無関心。
この世は、過ぎ去るもの、
この世は無価値とみなしていました。


第2は
『変更すべき諸制度を
現代の必要に適応させること』
たとえば、かつては聖堂での座席は
女性は右側、男性は左側と
席が決まっていたり、
女性は
聖体拝領の際は頭をかくす
と決められていたそうです。


『聖務日課』についても、
かつては、
修道会では、夜明け前の午前3時に
詩篇9つを唱えていたとか。
今は、3時課はなくなり、
『朝の祈り』は
朝ならいつでもよいそうです。
今は、
『朝の祈り』と『晩の祈り』は
一日の基本として
信徒にも奨励されていて、
1500の詩篇が4週間で
読めるよう配分されています。





公会議の意図の第3は、
『キリストを信じるすべての人の
一致を促進させること』


第4は、『すべての人を、
福音のふところに招き入れること』
諸宗教対話ということで、
プロテスタント・東方教会・聖公会
との一致にむかうことと、
さらに、
他の宗教を誤りとするのでなく
他を尊敬することから対話が始まる
と、考えるようになりました。


『典礼憲章』の序文から…
『“典礼”は
“キリストの神秘”と
“真の教会のまことの本性”を
信者が“生き方”をもって表し、
他の人々に明らかにするために
きわめて有益』


『“教会”は、
人間的であると同時に神的であり
見えるものでありながら
見えないものを備え、
活動に熱心でありながら
観想に専心し、
世の中にありながら
旅することを特性としている』


『“教会”においては
人間的なものは神的なものに、
見えるものは見えないものに、
活動は観想に、
そして現在は
われわれが探し求める
来たるべき都に向けられ、
従属している』


『“典礼”は、
人々を、日々、
主における聖なる神殿
聖霊における神の住まいに築き上げ
キリストの満ちあふれる
豊かさに達するまで成長させる』





この世にありながら
来たるべき都へと旅する
教会のなかまと
ともに歩めることに
感謝です!



Elizabeth♪

③につづく…
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教会の意識・信仰を刷新した公会議
2016 / 09 / 16 ( Fri ) 22:25:27
2016年8月26日(金)
日本カテキスタ会の信仰養成講座で
1962~65年の
第2バチカン公会議による
『典礼憲章』について学びました





長崎大司教区の高見大司教から
伺った、『典礼の刷新』の歴史。
公会議の前の、
かつての典礼には、
いろいろ、ビックリでした!
たとえば、
“司祭の両手を広げる幅は
脇に卵を入れて落ちない程度と
決められていた“そうで、
かつては、司祭の一挙手一投足が
世界中、画一的に
きっちり決まっていたそうです!


典礼=儀式として
外側を重んじる時代が
トリエント公会議(1545~63年)から
約400年続いていました。


19世紀に典礼運動が起こり、
会衆の積極的参加の
再興が目指され、
古代教会の典礼の理解と実践や
現代に応じた司牧と、
福音に沿った祭儀への
刷新が試みられ、
それが第2バチカン公会議へと
つながったそうです


かつては、
“信徒は聖書を読んではいけない“
“旧約はつまづきになる”
と言われ
“信徒が、神の言葉に直接触れるのは
よろしくない“と
言われていたそうです…!


1517年のルターの宗教改革により
プロテスタントでは、
キリスト者一人ひとりが
聖書を読み始めて、すでに
450年が経過していました。


1962年から1963年発布の
『典礼憲章』は、
典礼だけでなく
教会自体を刷新しようとし、
教会の意識・信仰の
刷新をめざしたもの。


すべてのキリスト者が
典礼においても
生活においても
“主の過越の秘儀に生かされる”
よう意図されているそうです。




Elizabeth♪
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福音の光あふれる聖ヨハネ23世
2016 / 09 / 16 ( Fri ) 21:51:43
新発売のDVD『ヨハネ23世』
を観ました。
第2バチカン公会議を開催した
聖ヨハネ23世教皇の
福音の光が満ちあふれる
自由でキュートな姿が
魅力的です。





聖ヨハネ・パウロⅡ世とともに
昨年列聖された
聖ヨハネ23世の
教皇になるまでと
教皇として
第2バチカン公会議を
召集した時代が描かれていて、
キリスト者としての
光にあふれる生涯に
感動しました。






約50年前に開催された
第2バチカン公会議のおかげで、
私たちは、今、日本語で
司祭に応唱して
ミサを、
司祭とともに作り上げるという
恵みにあずかれているんだ…
と、あらためて
感謝です



Elizabeth♪
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マザー・テレサ列聖式と巡礼の旅
2016 / 09 / 15 ( Thu ) 22:01:39
観光では訪れていた
イタリアやフランス 
いつかは巡礼を…
と願っていたのですが 


今年の夏
「マザー・テレサの列聖式と
アッシジ、ルルド聖地巡礼の旅」
という、とても大きなお恵みを
いただくことができました。



このお導きに心から感謝し、
いただいたお恵みを
皆さんにお伝えして分かち合うこと、
それが何よりもまず
み心にかなうことなのでは…と
感じています







同行して下さったのは、
マザー・テレサの下で奉仕活動をし、
マザーに神父になることを勧められ、
イエズス会の神父になられた
片柳弘史神父様。
(山口宇部教会主任司祭:
マザー・テレサ関連の著書多数)


「巡礼の旅は
何処どこに行ってきました~と、
ただ報告するものではなくそれぞれが
得たものをかみしめて
今後の生き方に生かして下さい…」

と教えていただきました。


列聖式や巡礼の旅の様子は、
片柳神父様のブログに
掲載されています。
写真もとても素晴らしいので
どうぞご覧ください。

(2016.9.8の記事から始まります)

片柳神父のブログ「道の途中で」


マザー・テレサの列聖式のミサ
世界中から集まった人の列と
何重ものセキュリティを通り、
6時間以上身動きできずに
炎天下に居続ける過酷な状況でしたが、
皆が一つになって祈り歌い、
マザーの列聖を祝う心に感動しました。


肌の色、言葉の違いを超えて
一つの祈りを捧げる
10万人を超える人々の
祈りの輪の中で、
「自分」という意識が溶けていく
不思議な一体感に包まれました。


パパ様のお説教も、
マザーが貫いた
「ボランティア」の精神について
繰り返し強調され、
今、目の前にいる人の中におられる
イエス様を信頼して、
その人に深い愛を注ぐこと、
自分の力を捧げることの大切さを、
改めて心に刻みました。





巡礼の旅へ「いってらっっしゃい」と
見送ってくださった豊島神父様


帰国直後、顔を見るなり
「おかえりなさい」と
笑顔で声をかけて下さり感激‥しました


優しい笑顔があふれる
多摩教会…、わが家
一人ひとりが、
皆の祈りに支えられている場所


初めての方も、久しぶりの方も
「おかえりなさい」と
笑顔で… 
私もお迎えしたいと思います!




神様に感謝して

コスモス
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大丈夫!どうにかなる。
2016 / 09 / 13 ( Tue ) 15:49:03
9月9日入門講座、
午後のコース。
夏休み、という難関を突破して、
前学期からの方々がみんな
引き続き来てくださり
「入門のない休みの間は寂しかった!」
と言ってくださり、

そのうえ、
新しい方もいらしてくださって
とっても、嬉しかった!です。



午後コースのお話、心に残ったこと
を少し、まとめてみました。





「何がなんでも、希望をもって
生きていきたい、と思えば新約聖書
を読むといいでしょう。


新約聖書はいわば福音宣言。
良い知らせを受けて、
希望をもって生きることができる。


その希望とは
主イエス・キリスト、
救ってくれる神、ともにいる神
がもたらしてくださる希望です。


希望は現世ではつくりづらい。
でも、神様はもう、つくっている!
のです。」


「人はいろんなしがらみをもって
生きている。
人間関係で振り回されている
自分を
神様のほうにもっていく。
メタノイア、回心と言います。

生きる希望はここにある
ということで、
心を神にもっていく。

心の本当に求めている部分で
神に向きたい。

心のベクトルが
神にちゃんと向いた状態が
ほんとうの"居場所“。

神様は、大丈夫!と
絶対肯定してくれる。」


「福音宣言を受けたものは
生きるための十分な希望と
本当の居場所を持ち、
絶対肯定されて強くなり、
私は大丈夫、どうにかなる!と思って、
生きていけるのです。」






「福音書を読むとき、
どのように生きるべきかを
分かろうと思って、
頑張らない。

福音の言葉は感じてほしい。
すぐには来なくても、
じわじわっときて、
ストンと落ちるポイントが必ずあります。

なんか希望がある~?、と思って
読み始める人が多い。」


「愛の言葉がほしいときはヨハネ。
淡々とイエス様のことを知りたければ、マルコ。
怒られたいときはマタイ。愚か者~!とか
言われるよ(笑)」
(ちなみに、
最初に読むといいのはマルコによる福音書、
だそうです^^。)





以前は全く響かなかったのに、
急に、思わぬ力と慰めをもって、
心に迫ってくる聖書のみ言葉って、
ありますよね~。

神様は心の状態に応じて、
その時々に、最も必要なメッセージを
くださるのですね。

信頼、信頼! です。



Luna
「入門講座」で admin page top↑
神によって、輝かされている
2016 / 09 / 12 ( Mon ) 13:16:06
2016年9月4日(日)
やさしい会のミサでの
豊島神父のお話から。





「いつくしみの特別聖年
のテーマは、
“あなたがたの父が
いつくしみ深いように
あなた方も
いつくしみ深くなりなさい。“
(ルカ福音書6章36節)


“慈しむ”と、漢字で書くと、
“育てる”
という意味があります。
私たちは、
神に愛され、育てられていく
成長の過程にあります。


教皇フランシスコの言葉では、
“ソーシャル・インクルージョン“
“みんなが、一緒にいること“
“だれも、排除しない”
ということです。



教会は、“居場所”をつくろう
としています。
でも、“居場所”とは
ただ、そこにいていい
というだけの場所ではない。


いつくしみのなかで、
そこに、いることによって
人と出会い、育てられる場所。
だから
“ソーシャル・インクルージョン”
というのは
“一緒に生活していくんだ”
ということ。
その人が、生きる力を発揮できて
自分の力で生きていく
自信を持てる場所。
それが
“居場所”であり
”ソーシャル・インクルージョン“。



もうひとつ
教皇様が言っているのは
“無関心を乗り越えましょう“
ということ。
無関心が
地球規模になっていることに
警鐘を鳴らしています。


今日列聖されるマザーテレサは
『“愛”の反対は、
“憎しみ”ではなく“無関心”』
と言われました。」


「私たちは、
いつくしみ深い天の父のように、
育てられ
“自分の命は、輝いているんだ!“
“私たちは、神によって、
こんなに
輝かせていただけるんだ!“
そういう恵みのなかにあってこそ、
目の前にいる人とも
“一緒にいよう!”
となるのです。」





“私たちは、神様によって、
輝かせていただいている!“と、
調子の悪いときこそ、
思い出したいフレーズです。




神に感謝!
Elizabeth♪
御ミサで admin page top↑
福音宣言スタート!!
2016 / 09 / 11 ( Sun ) 10:06:42
9月9日(金)、
待望の豊島神父様の
入門講座が再開しました。


うんと久しぶりの方
、初めての方もお迎えして、
かかりんは福音の広まる
確かな手ごたえを感じていました。





この日の夜講座のお話は
こんなふうに始まりました。


神は人を愛す。
生みの親として、
本気で関わってくれてる。
愛するというパワーをもって、
365日全部見守ってくれてる。


困った時、とかお願いごとがある時、
だけじゃなく、
そんなめめっちいことじゃなく、
365日全部、
丸ごと面倒見てくれている。


旧約聖書をウイキで見てみると
聖書では神は一つ、
多神教の日本とは
世界が違う、と書いてある。
でも、降参一歩手前のどん底の時、
神がおひとりだからこそ、頼める。


アップの時もダウンの時も
お願いできる神様。
そういう時は神がひとりじゃないと。
命からがらの時、すがるもの。
絶対大丈夫って神の姿を
旧約は示してくれてる。


旧約の中に、神さまがどんな時も
関わってくれる話があります。


聖書をパラパラって見て、
気に入ったフレーズが
二行くらいあったら、
聖書の言葉いいなって思ってください。


気に入ったフレーズ
見つけられるまで読んで
それをどうして気にいったか
書いてみるって授業を
やってみたことがあります。
けっこうみんな何かしら
気に入るところがあるんですね。


自分の今のモードと、
聖書のモードが
ぴったり合うことがある。
パララとめくってみて
気に入ったフレーズがあったら
心にとめてみては
いかがでしょうか。


聖書は一生もの。
目が見えなくなるまで
聖書は読めると思います。


聖書はホームベース。
何かに立ちかえりたい時、
戻って来るもの。


新約聖書はイエスキリストの誕生。
キリスト=救い主の意味です。
神と共にいるお方。
その人が出現しちゃった。


新約聖書が何を言おうとしているか
と言うと、
どっかの誰かさんが
「福音宣言」って本を書いてますが、
福音を宣言してるんです。


福音は、良き知らせ、の意味です。
エヴァンゲリオン。


良き知らせってのも、
表現が難しいんです。
この世だと、誰かにとって良いと
別の誰かには悪かったりする。


広島が優勝したら
広島ファンには良い知らせだけど、
他の球団のファンには悪い知らせ
だったりするわけです。


でも、キリスト教の良き知らせは
みんなに希望を与えるものです。


生きる希望を持つ、ということ。
人生希望あり、の進行形が、福音。


神さまは私たちの人生に
感動を用意してくださってるんです。





秋講座のスタートにふさわしい、
豊島神父様による、
堂々の福音宣言、でした。


本当はまだすばらしい福音が
語られたのですが
あまりにも文章だと
長くなってしまうので
ちゃんと聞いてみたい人は
入門講座へ。


この日、初めて
多摩教会に来てくださったRさん
「福音の村と、らくがき帳を読んで
来ました。」と言ってくださって
とても嬉しかったです。


「HPに熱を感じました。感動しました。
そして、ここなら大丈夫
だと思いました。」とも。


実は入門係の親分のLunaさんの
鬼のような原稿の催促(!)に
かかりんたちは
日夜苦しめられているのですが、笑
そんな大袈裟なあ~
がんばって書いて良かったなあ、と
報われた思いがしました。 (よかったね~


まだまだ暑い外気温に
負けないくらい
めっちゃ熱い福音が
語られまくりの多摩教会。


入門講座は全て無料!!
おいしいお茶やごはん、
ケーキまで出ちゃう
入門夜講座に、
早く行かなくっちゃ!!


入門係一同、
とびっきりの笑顔で
お待ちしています。




かかりん
「入門講座」で admin page top↑
福音の種は、私たちのなかに
2016 / 09 / 09 ( Fri ) 23:55:00

2016年9月9日(金)
秋期入門講座が始まりました!


夜7時からの講座には
HPを見て初めて来た方や
夏期講座で神父様のお話を
初めて聴いた方、
1年半ぶりの方、2回目の方など
豊島神父のお話のあと
9時ごろまで
ケーキやお惣菜を戴きながら
お話できて、楽しかったです


HPを見て来た方は
『いろいろ教会を探したけれど、
多摩教会が、
一番HPが充実していて
よく更新されていますよね』
と言って下さいました!
教会の活気ある雰囲気を
ホームページで伝えることって
本当に大切なんだな~と
改めて、実感しました


そういえば、Elizabeth
近くの教会を探す時、HPを調べて
『福音の村』に出会い、感動して、
学生時代に出会った福音が
ここにある!と、
カトリック多摩教会に
来たのです。本当に、感謝です!







今日の入門講座での
豊島神父のお話から。


「神さまの愛の福音の種は
私たちに
播かれています。
私たちは
“福音を感じる感性”を
すでに、
持っている。


恐れ、憎しみなどが
自分を苦しめているとしても
その心を
解放してあげるのが
福音の力です。」


「キリストは
“生きる希望の種”を
いろいろもたらした。
キリストに触れた人たちが
どういうことを学び、
どういう力を与えられたのか。
それを、これから
新約聖書で学びましょう。」


「神さまは、私たちの生き方に
感動を与えてくれる。
“生きるっていうのは
こんなに素晴らしいんだ!“
と、思わせてくれるのが
新約聖書です。」






いつも、ミサに感動します。
神の愛を感じる“感性”を
もっと研ぎ澄まして、
いつも、神様の方に向かって
周波数をあわせて
いられますように。




神に感謝!
Elizabeth♪
「入門講座」で admin page top↑
秋の入門講座、開始です!
2016 / 09 / 08 ( Thu ) 23:23:08
台風10号による東北、北海道での
大きな被害につづき、
今回の関東での大雨の被害!!
被災した方々に
心からお見舞い申し上げます。





本日8日、ここ多摩はたまに、
ちょっと強い雨が降る程度。
晴れ間さえ見える
蒸し暑い一日でした…。


残暑疲れを感じるのは年のせい?


でも、明日9月9日13時半から、
いよいよ
入門講座秋学期が開始!!
きっと、秋晴れのさわやかな一日に
なることでしょう。


やさしい豊島神父様を通して
語られる
いつくしみ深い神さまのこと、
すばらしいイエス様のことを
皆さんとご一緒に聴くのが
楽しみです


ぜひ、いらしてくださいね。


途中参加の方、
初めての方、大歓迎です。


皆さまのお越しを心から
お待ちしています。



今学期もどうぞよろしく~!!




Luna
「入門講座」で admin page top↑
やさしい会のミサ♪
2016 / 09 / 07 ( Wed ) 23:57:41
2016年9月4日16時から
カトリック多摩教会聖堂で
豊島治神父司式で
やさしい会主催のミサを
行いました。





やさしい会は
30代、40代のための会ですが
昨年結成したばかり。
単独でのミサは初挑戦でした。


典礼奉仕は
やさしい会のメンバーから。
素晴らしい朗唱と伴奏、
ベテラン侍者が揃っています。
初挑戦の朗読の2人も
十分リハーサルをして
しっかりご奉仕できました。


典礼奉仕に参加することは
信者にとって
大きな恵み!
み言葉を語ることは
神さまの言葉を語るという
神様のわざに参加することですから。


Elizabeth
先唱として
ご奉仕させて頂きました。


インターネットを見て
初めて多摩教会に来られた
ポーランド出身の親子とも
お話できて
とても嬉しかったです


共同祈願では、
バチカンで列聖式が行われる
マザーテレサを記念して
“マザーテレサの祈り”を
みなで唱えました。
ほかにも
岡田大司教着座15周年や
札幌教区100周年、
『被造物を大切にする世界祈願の日』
について
たくさんお祈りさせてい頂きました。





たくさんの人に支えられて
やさしい静かなミサに
与ることができました。
ありがとうございました




神に感謝!
Elizabeth♪

多摩教会で admin page top↑
すばらしかったおむすびパラダイス
2016 / 09 / 06 ( Tue ) 16:08:49
お久しぶりです、かかりんです。


9月3日の土曜日は、
多摩教会でも
初めての試みになる
新イベント・
「おむすびパラダイス」
が盛大に行われました。





かかりん
おにぎらず
(サンドウイッチみたいなおむすび)、
セロリの浅漬け、
米粉ケーキ、を出品しました。


時間が午後1時からだし、
お昼食べちゃった人も
多いだろうし、
ピザパエリアにくらべると、
おむすびって地味?
お客さん、
来てくれるかなあ、と思ったら、
ちゃあんと集まってくれました!!


この日のお話は、
おむすびのために神父様が
短くまとめてくださったのですが、
こんなふうに始まりました。





明日9月4日は、
マザーテレサが聖人になる日です。
聖人とは、もしもイエスキリストが
その時代に生きていたら、
きっとそういうことをしたに違いない、
ってことをした人が聖人なんだって、
昔、私が晴佐久昌英って神父の
入門講座に出ていた時
聞きました。


ランクがあって、
尊者→福者→聖人なんですが、
何で決まるかと言うと、
証拠の資料の数で決まります。


その人がどう生きたか、
どれくらい神さまによって、
イキイキと生きたかって、
証拠が残っていて、
聖人になる調査をする。


1982年にヨハネパウロ二世が
日本に来たんです。
雪の後楽園球場に。
その時に、
「日本人はもっと、
どんどん聖人になるべきだ」
とけしかけられたんです。


この多摩教会は、
コルベ神父様に守られている
っていう言い方をします。
守護の聖人。
洗礼の時には、
聖人の名前を
洗礼名にもらうことが多いですね。
そうすると、
カトリック的にはこう考える。


私がお祈りしますね。
願い、想い。
でも神様がちょっと遠い感じがする。
そこで私たちは
とりつぎ、をお願いするんです。


とりつぎは一つはマリア様に、
もう一つ出てくるのが
自分の聖人。
洗礼名をいただいた聖人が
取り次いでくれる。
我々は、自分、マリア様、聖人、
の三方向から神様に向かう。
こういう考え方を
続けて来たんです。


教会もそうで、
カトリック教会は
聖人の名前を入れますね。
カテドラルは
一番ボスの司教さんの
住んでいるところなんですが、
聖マリア大聖堂、
と言うわけです。
1972年に多摩教会ができた時、
投票でコルベ神父様が
守護の聖人になったんです。


福音に生かされている感覚と、
祈りと奉仕を大切にすること。


奉仕・ミサ・福音がそろっていれば
間違いない。
聖人は、今を大事にして、
今、良いことをする人なんです。





聖人や福者の違いが
証拠の数で決まるって、
かかりんはこの日初めて知りました。
思わず「へええ。そうだったんだ」と
つぶやいてしまいました。
そして、洗礼名の聖人のことも。


かかりんの洗礼名は
マグダラのマリアです。
今まで、とりつぎをしてくださってるのを
知らなかったです。
マグダラのマリアさま、
失礼しました。
これからも
どうぞよろしくお願い致します。


神父様のお話を聴いたあと、


神父様が
「ちゃんとした立派なごはんなので
乾杯の前にお祈りしましょう。」
っておっしゃって、
みんなで十字を切って
食前のお祈りをしてから、
乾杯。


スパムおむすびが
大人気でしたが
他にも上にあげた
かかりんのお料理、
入門係みんなで作った
普通のおむすび
(鮭・明太子・梅・こんぶ・おかかなど)、
アレキサンダーさんの
豚肉ときゅうりの香味たれ、
温かいスープ、
レミゼくんの辛い(!)浅漬け、
コストコのぶどう、などなど
テーブルの上は大賑わい!!


ひとしきりごちそうをいただいてから
せっかくの交流会なので
自己紹介をしました。


皆さんの自己紹介がすばらしくて、
中でも金曜夜講座の入門係で
かかりんが常日頃
「本当はマリア様が
日本人に化けてるんじゃ?」と
疑っているOさんが、
お母様のことを話してくれました。


なんでもできる母親を、
若い頃は、うとましく思っていたこと。
でも、そのお母様が寝たきりになって、
認知症になって、
何もできなくなって、
ただキレイな澄んだ目で
こっちを見ているだけになって、
Oさんはお母様の介護をしながら、
「母が仲直りする時間を
作ってくれたんだなあ」と思って
羽がはえてるかのような気持ちで
毎週群馬のお母様のところまで
喜んで飛んでいく、
要旨はこんなかんじ、
のお話をしてくれました。


かかりんはこれを聴きながら
涙がこぼれてしまいました。


かかりんは、何年も前に
御舅さんとお姑さんを
天国に送っています。
お姑さんは
アルツハイマー型認知症を
9年患って亡くなりました。
お姑さんの介護をしながら
漠然と感じていたものが
言葉を与えられたように思いました。


「仲直りする時間」という言葉を
かかりんは大切に
この日胸に持ち帰りました。


豊島神父様と個人的に
お話する時間も少しあって、
かかりんは、
「豊島神父様は、
子供たちや貧しい人々のことを
ものすごく真剣に考えていて、
表面的な自己満足の
ボランティアではなく、
どうしたら問題の
根本的な解決になるのか、と
誠実に、慎重に、確実に
方法を探って実行に移す
神父様なんだなあ」、と感じました。

この人が神様のお仕事をなさるのを
お手伝いしたい、と 
心から思った一日になりました。


ステキな豊島神父様をお迎えして、
これからも、ますます目がはなせない
多摩教会!!
秋の入門講座は
9日の金曜日から。


皆様のおこしを心からお待ちしています。




かかりん
「入門講座」で admin page top↑
パパさまより
2016 / 09 / 05 ( Mon ) 12:26:26

未分類 admin page top↑
『やさしい会』によるミサへどうぞ!
2016 / 09 / 03 ( Sat ) 21:30:45
2016年9月4日(日)夕方4時から
カトリック多摩教会聖堂で
『やさしい会』主催による
ミサを行います






司式司祭は、豊島治神父様。
先唱は、ワタクシ、
Elizabeth♪
伴奏
朗唱、朗読、侍者も
『やさしい会』の
スペシャルメンバーで
ご奉仕いたします。


意向がちがいますので
主日のミサにあずかられた方も
ご聖体をいただけます。
どんな年代の方でも
ご参加ください。





『やさしい会』は
昨年から30代、40代の
『後期青年会』として発足。
今年、名称を変更しました。


今回のミサは
教会活動、家庭、仕事と
なにかと忙しい30~40代に
癒やしといつくしみを祈ります。

9月4日は
マザーテレサの列聖式。
共同祈願では
『マザーテレサの祈り』を
みなで、一緒に唱えたいと
考えています。


みなさまのご参加を
お待ちしております!




神に感謝!
Elizabeth♪
多摩教会で admin page top↑
おむパラ~♪
2016 / 09 / 02 ( Fri ) 08:47:58
朝風のさわやかさに、ふと
夏の終わりを感じて・・・、
気づけば、もう9月!!


入門講座も
いよいよ来週から再開です。


その前に、
コスモスさんも
お書き下さったとおり、
始業式もかねての交流会、

「おむすびパラダイス」
略して
「おむパラ」


明日
9月3日土曜日13時より
開催いたします

(晴佐久神父様のときは
「ピザ・パエリアパーティー」でしたね~)


定番の
梅干し、昆布、鮭、
辛子明太子のほか、
おにぎらずや、
スパムおむすびも準備中。


この時期、もちろん、
お米は新米~


入門係の心のこもった
おむすびで、
この夏の疲れを癒し、
2016年後半を走り(歩き?)抜く、
ささやかな糧にでも
していただければ・・・
と願っています。


でも、メインディッシュは
いうまでもなく、
豊島神父様のお話


きっと、心の琴線に触れる
素敵なお話をしてくださる
と思います(・・とプレッシャーをかける
ので、皆さま、ぜひ、お越しください。



初めての方でも、
どなたでも大歓迎!


多くの方の参加を
心よりお待ちしております。




Luna
「入門講座」で admin page top↑
一番大事なことは
2016 / 09 / 01 ( Thu ) 19:58:36
2016年8月27日(土)
御ミサでの
豊島神父のお話から。






「今日の福音書で
ルカが訊いているのは
あなたの
心のなかはどうなのか?
ということ。


上座でも下座でも
そこに座ろうとする貴方は
“比べてしまう”という
“恐れ”に
とらわれていないのか?
ということ。


人間は、みんな、そんな風に
人を評価し、
人からの評価を、気にしています。


今は
ほめる教育法がはやっています。
でも
“ほめられると伸びる”
というくらい
人間は、
人の評価を気にして、生きています。


だから、その反対に
“あんまり評価されない”とか
“報われない”とか
“今日は冷たくされた”とか
“今日は話してくれなかった”
と、思い、落ち込んでいく。



“誰も私のことを
相手にしてくれない“
“どうせ私はダメなんです。“
と、よく聞きます。


どうして
“私のこと”ばかり言うのか?
たまには、誰か、他の人のことを
“あの人が寂しそうだ”
とか
“あの人がポツンとしている”
だから、あの人のそばに
行ってあげよう“
と、考えないのだろうか?


さびしいことを体験した
その意味の時間を
その心の葛藤を、強さとして
“その寂しさは
私の方がベテランだから
経験者だから
寄り添ってあげよう。“
という風に、なぜ、ならないのか?


自分のことしか考えないと
どんどん、落ち込んでいきます。
『評価されたい』という
ネガティブなスタイルに
入っていく。


人は、人との関わりの中で
評価を気にして生きていく。
人からの評価も
大切なことだけれど、
『評価だけにふりまわされているのは
不幸だよ』
というのが
今日の聖書の婚宴の箇所で
行きつく先です。



必ず、人は、どん底に落ちる。
それは、私たちの弱さゆえに。
生きるサガゆえに。


オギャアと生まれて
育ち、生きていくなかで
私たちは、別れを経験する。
やがて
できていたことも、できなくなっていき
だんだん落ち込んでいく。
そういう
始めと終わりの宿命を
私たちは、持っています。


私たちは
それを、自分で得たのではない。
与えられていたもの。
なのに、それに、こだわってしまう。


与えられていたものを
ひとつひとつ、神様に、返していく
というのが、私たちの成長。


人から
どれだけ認められるか
人から
どれだけ頼りにされているか
というのは
いっときの愉しみ。喜び。


結局は
それが、できなくなる時を
私たちは迎える。


だからこそ、
“大切なのは、神様からの評価だよ“
"神様は、何を見ておられるのか“
というのが
今日の福音の
『幸いなもの。貧しい人たち。』
ということ。


一番、大事なことは
“神様のみむね”
“神様の輝き”
“神様が照らして下さるそのもの”。



だから、私たちの祈りは
『こうして下さい。あれを下さい。』は
控え目にしておいて、
時には
『神様、こんな小さな私だけど
神様、私を救って下さい。
神様、
あなたのスケールの大きさに
心の広さに
あなたの深い心を、私たちに
お示しください。』
そういう風な祈りと
そういう風な日々を過ごせることを
幸いだ
と思えるように。


そう祈れる力の源である
ご聖体を、いただきたいと
思います。」







日々、絶えず、祈りのなかを
歩みたいと
思わされました!




神に感謝!
Elizabeth♪
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