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救うのは、神。
2016 / 10 / 09 ( Sun ) 00:23:32
こんばんは。かかりんです。


10月7日の金曜日。
夜講座はこんなふうに始まりました。





十字のしるしをすることによって、
神様に向かえる。
神さまに向かって
お祈りをするスイッチを入れる。


主の祈りを唱えます。
弟子たちの求めに応じ
イエス様が
自ら教えてくださったお祈り。
天におられる私たちの父よ、
と言うことによって
安心して祈ることができる。
イエス様が”父よ”って
呼んでいいよって
言ってくれたから。


聖書と典礼には「主日」って
書いてありますね。
主日=神様の日
毎日曜、神様おめでとうの日、
の気持ちで日曜を過ごす。
朝一番に神様のところに
おめでとうを言いに行く。



私たちの人生には門がある。
その門はふたつある、
と考えられませんか?


一番最初は産道を通る。
生まれるという門。
死ぬ時にも門がある。
カトリック教会は死ぬ時に
この門は新たな命への門である、
という。
命日は、新たな命を迎えた日。


お墓は亡くなった方と
お話する場所。
24時間365日、
神様のもとで
私たちを見守ってくれている。


地上の私たちは限界だらけ。
亡くなった方たちは
さえぎるものも後悔もない、
完全の中にいる人びと。
天のみもとから
亡くなった方が見守ってくれて
すごいパワーを注いでくれてる。


永遠って場所があるよって
教えてくれたのは
イエスさまだけ。
永遠を知ってる方だからこそ、
イエスさまがいることは安心。



今度のごミサでの聖書の箇所は
ルカによる福音。
重い皮膚病=昔は
”らい病”と書かれていた。
その後ハンセン氏病ということになり、
ハンセン病になった。


らいってわかると官兵が迎えに来て
駅まで連れていかれて
貨物車に入れられ、
東日本で発覚すると
東村山に連れて行かれて
降ろされると荷車が待ってて
全生病院に入れられた。
塀に囲まれた隔離施設。


手持ちのお金は
全生園でしか使えない円と
交換させられる。
入り口から入ると、
荷車の車夫が
”今度これに乗る時は、
あなたが死んだ時だ”と言う。


高い塀の中で、
出ることはできない。
隔離病棟の中で
生活しなきゃいけない。
この聖書の人々は
隔離されていたことを前提に
文章を読む。


WHOは病気とは
①身体的負担
②精神的負担
③社会的負担
これが続くと
④自分が自分であることの負担
とした。


自分を認められない→
自分がキライ→
自分は生きてていいんだろうか、
という負担。


イエス様が癒したのは
①~③を網羅して、
④の、あなたはすばらしい、って
癒しを与えたのです。


病気ひとつとっても
①~③はセットなのだから、
これ全部を回復することを
イエス様の癒しと言う。
イエス様は
④まで癒そうとしている。


"あなたの信仰があなたを救った"(ルカ17・19)

救うことは、誰が救うのか?

神であるイエスが救う。
だから、神が救う、って
テーマなんですよ。


言い換えるなら、
人は人を救えない。


神が人を救う。
だから人は神と神様の計画に
協力していく。手伝う。


マザーテレサは
”私は神の小さな鉛筆です。
神様がお出しになる計画を示すための
小さな道具にすぎません”
と言っている。


そうやって我々は
神に協力していくのです。







この日のお話は
心に残るところだらけだったのですが、
全生園の教会の神父様を
なさっていた
豊島神父様ならではの
リアルな現実のお話と、
かかりんは特にこの
「人は人を救えない。救うのは神。」
という言葉に
大きく何度もうなづいていました。


親しい人が苦しんでいたり
病気になったりすると、
ついなんとか力になりたい、
助けてあげたい、と
人は思ってしまいがちですが
救えるのは神様だけ。


だから、自分が救えないことを
悲しんだり、自分を責めたり、
絶望しなくていいんだなあ、
そしてきっと、
神様が救ってくださるんだなあ、
神さまにお任せして、
自分は手伝えばいいんだなあ、と
改めて思いました。


ちょうど病んでいる友人のことで
悩んでいたので
とてもうれしい言葉でした。





かかりん
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